愛犬黒柴、10年経っても甘えない。
正確にいうと全然距離が縮まらない。
そんなアイツの名は黒柴『コタツ』。
2022年の元旦には生まれてちょうど10年になる。
人間だったら10年もの付き合いになれば『友人』から『親友』に格上げされている頃じゃないか。なんでもっと甘えてくれないのだ。
飼い主としては、大変不服である。
とにかく全然触らせてくれない。
飼い主からちょうど手が届かない1メートル半くらいの距離を開けて横になる。今がチャンスとばかりに触ろうとすると文字通り飛んで逃げる。
世の中には、飼い主が落ち込んでいるときに寄り添ったり、散歩に行くのにリード咥えて笑顔で走ってくる犬がいるそうだ。抱っこして、いっぱい撫でてくれ、撫でるのを止めるなという動画を再生するたび、私は深いため息をつく。
眠たいときだけ触り放題
例外として、コタツは「起きるのも怒るのも面倒くさい」という雰囲気を醸し出す入眠前にだけ存分に触らせてくれるのである。たぶん1日あたり合計約10分の至福。短い。短すぎる。
悲しみの動物病院事件
▲動物病院での様子。ソファの下に隠れているつもり
ある日飼い主の心を大きく動揺させた事件があった。
コタツは動物病院が大嫌いで、病院へ行く道を通るだけでスマホのバイブ機能よりも大きく震えるし、隙あらば帰ろうとする。
なんとかなだめて診察室に入ると、診察台から私めがけて飛びついてきたのである。
「初めて自主的に抱っこされに来た!」
ああ!私が求めていたのはコレ、コレなのよ!よしよしコタツ、私が守るからね!ひとり感慨にふけっていると、なんと今度は隣にいた看護師さんめがけて飛びついたのである。
診察台から逃げられたら誰でもよかったのだ。
飼い主でなくてもよかった。
10年の信頼関係はあっさりと今会ったばかりの看護師さんに負けた。
とめどない愛情の行き場がない
柴犬は、洋犬と比べるとベタベタされるのを嫌う子が多いらしい。コタツも例外なくそれである。とは分かっていても日々悲しい。
しかし悲しみと反比例に愛情は増えていく。全くもって愛が修まらない。
散歩中に振り返って私の顔を見て口角を上げる。ニコッと笑ったように見える瞬間。
ご飯の時間の1時間前からキッチン前で背筋を伸ばして待っている姿。
ちょっとした夫婦喧嘩も仲裁しにきてくれる姿勢。
眠たいときは何とも言えない香ばしい匂いがする。肉球はだだちゃ豆の匂い。
1日2回の散歩は行きたがらないくせに、行ったら帰りたくなくなる時。
コタツのそんなちょっとした仕草が愛おしい。
10年経っても加速して愛情があふれちゃってる。ギュウ、と抱きしめたい。絶対無理だけど。
このまま心の距離が縮まらなくても、あと10年先も元気でいてくれればそれだけで飼い主は嬉しい。
サポート…?こんな世知辛い世に私をサポートする人なんていな…いた!ここにいた!あなたに幸あれ!!