島川修一 TOBIRAプロジェクト始動!

自らの前前前世が中島敦だと信じて疑わない文筆家。就労継続支援A型事業所TANOSHIK…

島川修一 TOBIRAプロジェクト始動!

自らの前前前世が中島敦だと信じて疑わない文筆家。就労継続支援A型事業所TANOSHIKAで職業支援員として働く元教員。当事者による当事者のためのメディア「AKARI」、広報誌「TANOSHIKA TIMES」編集長。絵本等の制作企画「TOBIRAプロジェクト」で11作品を販売中!

最近の記事

  • 固定された記事

作っただけでは売れないこの時代に、私は、絵本を売りたいのです。

「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」という、ゼクシィのコピーがある。 時勢を捉えつつ、その価値を再定義するような、攻めたコピーとして話題になった。 僕も今、同じような想いで絵本などの創作物を製作販売する「TOBIRAプロジェクト」という企画を進めている。 今どき作っただけでものが売れる時代ではない。 福祉施設が作ったから、と言うだけで温情で買ってもらえるのではないか?という甘えた発想はこのリアリストには元より持ち合わせていない。

    • 瀬戸内海のサンセット

      瀬戸内海を一望できる呉の見晴らし台で収めたパノラマ写真です。 穏やかな瀬戸内海に沈む夕陽が物悲しくも美しく、思わずシャッターを切りました。 #夏の1コマ

      • 置かれた状況とやるべきことは逆である事が多い。

        世の中は案外、置かれた状況とやるべき事が逆だったりする。 例えば、上手くいってない時に一発逆転を狙ってガラッと生活や仕事を変えたりする人が多いけど、運気が落ちている時は大きな変化は避けた方がよい。 逆に順調に行っている時にこそ自ら変化を起こすチャンスで、漫然と過ごしていては次の逆境に耐えられない。 これは算命学いう、中国に古くからある占いの考え方で、人の運気には誰しも波があって、特に天中殺と呼ばれる最も運気が落ち込む時期に関しては、とにかく動かないで地道に積み上げていく

        • 昔書いた小説

          久しぶりに、大学の卒論で書いた40,000字の小説を読んだ。 一人の天才が莫大な富で建造した丁度1000人しか住めない箱庭と、そこから追放された人々が暮らす街で繰り広げられる群像劇。 ゼミの先生からは一番いい評価を貰えて、代表で卒論の発表もしたが、卒業して14年もの月日が流れてから見ると、恥ずかしいくらい青くさい、あの時の自分にしか書けない内容だった。 あの頃は、ペンと紙があれば、何時間でも話を考えていた。 今思えば無謀と思うが、将来物書きになる事しか考えていなかった

        • 固定された記事

        作っただけでは売れないこの時代に、私は、絵本を売りたいのです。

          『無我霧中』

          ほんの五分前のことだ。 『本部より通信。応答せよマッティングリー刑事。』 通信機に応答し内容を確認すると、すぐさまエンジンを叩き起こし、濃い霧に包まれた道を切り裂くように、 アクセルを強く踏み込んだ。 現場はここから車で十数分だが、被害者の置かれた状況を考えれば事態は一刻を争う。 一般車を蹴散らすように現場のアパートに急行した。 これで今月だけで二十件目。 この三か月、同じ事件を追い続けている。 『また霧中病だ。被害者はアデル・ペリー。近隣住民から通報が入った。お前が

          メディアは人だ

          僕は今、AKARIというwebメディアの運営を会社から任せてもらっている。 ただ、単にメディアを運営しているのではなく、記事を書いているライターチームを運営していると僕は思っている。 よく言う『会社は人だ』というのと同じことで、AKARIの中にライターがいるのではなく、ライターがAKARIそのものなのだ。 AKARIを動かすのはあくまで人なので、時々集まってお互いの顔を見て話し合ったり、学び合ったり、やり方を調整しないといけない。 それは非常に手間がかかることであり、

          何をどう感じるか、受け止めるかについては、その人の自由だ。 ただし、それをどう伝えていくかについては、細心の注意を払わないといけない。 なぜなら、何をどう感じ、受け止めるかは自由であるからだ。 誤解や疑心を抱かせないように、偏らないように、トゲのないようにしないといけない。

          何をどう感じるか、受け止めるかについては、その人の自由だ。 ただし、それをどう伝えていくかについては、細心の注意を払わないといけない。 なぜなら、何をどう感じ、受け止めるかは自由であるからだ。 誤解や疑心を抱かせないように、偏らないように、トゲのないようにしないといけない。

          現在地

          世間には、福祉、アート、テクノロジー、教育など、色んな文脈で頑張ってる人達がいて、日本のみならず世界でも認められてきている人も少なくない。 その人達がこのどうしようもない世界を少しずつ明るくしてくれる予感がしてワクワクするし、活躍を見られて嬉しく思う。 そんな中でこのちっぽけな僕に何ができるのかと思う時もあるけど、すごい人達だって話を聞くと、最初から未来が約束されていた訳ではない。 誰だって小さなオフィスで数名から借金背負ってスタートを切り、嫌な目にあったり、相手にされ

          人間生きてりゃ大小問わず間違える、コケる、ヘマをする。 だからこそ大事なのは転ばないようにすることではなく、間違えてもいいから何度でも立ち上がること。 間違わないように生きてると、間違ったことを最終的に認められなくなる。 間違ったことを認められるようになることが強さだと思う

          人間生きてりゃ大小問わず間違える、コケる、ヘマをする。 だからこそ大事なのは転ばないようにすることではなく、間違えてもいいから何度でも立ち上がること。 間違わないように生きてると、間違ったことを最終的に認められなくなる。 間違ったことを認められるようになることが強さだと思う

          大きなタスクの抜き方

          「大きなカブ」の話を知らない人はいないだろう。おじいさんが自分が育てた大きなカブを家族やペットを呼んで、総出でうんとこしょと引き抜く話だ。 あんな風に、目の前にとても一人では完了できないタスクが立ち塞がることが働く上でも時々ある。 そんな時まずやるべきことは、「一人でやるのを諦めること」だ。 1日の時間が24時間で、腕は2本、頭は1つである以上、自分一人ができることなどたかが知れている。 まずはそのことを自覚して、変なプライドや遠慮は捨て、「カブを抜く」というタスクを

          本音を伝えないと正しい結果は返ってこない

          僕は残念ながら、非常に共感力の低い人間だ。 相手から出た言葉の意味は分かっても、何を考え、感じ、どうして欲しいかの全てを察することができるほど、できた人間ではない。 だけど、相手には誠実でいたいとは思っているので、何を考えているか、どうして欲しいのかは言語化して伝えてくれれば、なるべくそれを返したいし、 そうでなければ、相手の望む結果にはしてあげられない。 僕はさながら自動販売機みたいに、欲しいものがあるならそのボタンを押さないと出てこない人間だ。 本当は温かいコー

          本音を伝えないと正しい結果は返ってこない

          人の手を借りるのは悪いことではない。 人の手を借りてまで成し遂げたいことがないことの方がよほど問題だ。

          人の手を借りるのは悪いことではない。 人の手を借りてまで成し遂げたいことがないことの方がよほど問題だ。

          創る人にしか分からない痛み

          今事業所で進めている創作物の制作・販売企画、「TOBIRAプロジェクト」で、小説を一から書いてKindleで販売までできた方がいる。 販売して現在2冊が売れた。 その方から「あれが世間に晒されていると思うと」と、マイナスに捉えておられるというのを先日聞いた。 めっちゃ苦労して半年以上向き合って、小説60,000字書いて、挿絵も10枚近く描いて、ようやく販売までこぎつけたから達成感の方が強いのかと思ってたけど、本人の中では「もう思い出したくない」というのが心情らしい。

          創る人にしか分からない痛み

          創る人間にしか分からない痛み

          今事業所で進めている創作物の制作プロジェクトで、小説を一から書いてKindleで販売までできた方がいる。 販売して現在2冊が売れた。 その方から「あれが世間に晒されていると思うと」と、マイナスに捉えておられるというのを先日聞いた。 めっちゃ苦労して半年以上向き合って、小説60,000字書いて、挿絵も10枚近く描いて、ようやく販売までこぎつけたから達成感の方が強いのかと思ってたけど、本人の中では「もう思い出したくない」というのが心情らしい。 周りからすれば意外かもしれな

          創る人間にしか分からない痛み

          静かで落ち着いた教室という間違った正解

          今の日本の教育って、小中高大全てのカテゴリーにおいて、誰のためのものなのかが置き去りになっている部分がある。 大人が考えたカリキュラムをやらせる時代はとうに終わってて、今は子どもたちが自分で課題を見つけて解決する方法を考える時代なのに、大人の側がそれをやってきてないから未だに一斉授業しか知らない・できない教師が多い。 理想とされる授業風景も、落ち着いた静かなものがまず第一にある。 僕はどっちかと言うと教室から飛び出して調べ物をしたり、教科書の内容を実際に実験して体験させ

          静かで落ち着いた教室という間違った正解

          手は挙げてみるもの。足は向けてみるもの。

          これは僕の生きる上での信条。 たとえ恥をかこうが、チャンスとみればまず手を挙げてみる。 無論勇気は要るが、挙げ続ければ誰かの目に留まることもあるし、気まぐれにそれに応えてくれる人も現れる。 下げたままなら恥こそかかないが、見向きもされない。僕からすればそれこそが最も恥ずべきことだ。 仮に取材をしたい人がいれば、SNSに頻繁に現れ反応し、コメントを入れ、もしクラファンをすれば支援や拡散を手伝い、興味があることを伝え続ける。 自分よりも大物と話をしたいならその位はしないと視

          手は挙げてみるもの。足は向けてみるもの。