ソーシャルネットワーク(2010)

黄色味がかった暖色の画面の中で、青いPCモニターが冷たく浮かび上がる。
人物は背中を向けて高速でタイプし、高速の会話劇を繰り広げる。
それがこの映画のほとんどの画面だ。
初め見た時は、ついていくのが大変だった。スピード感と情報量に圧倒された。アクションも、セックスもバイオレンスもなく、ただ怒ったり、関係が壊れていくのを(しかも時間をシャッフルして)描いていく。そんな映画を心底面白いと思えるようになったのは、年齢のおかげだろう。

この映画においてマークザッカーバーグという男はブレない。
相手にペースを合わせることもしない。どんな時もサンダルにパーカー。審問中に落書きをしている。仕事のためなら睡眠も、時には友情だって手放す。

そんな男を中心に描いてくと、結果的に周囲の人間はどう見えるのか。ブレブレで、友情や規則に縛られ、感情と欲望に振り回され、嫉妬に狂う。相手を負かしたいという欲求に駆られ、そのために時間と金を惜しまない。

しかし、どちらが人間らしいかというと、後者なのである。
「あなたはクソ野郎じゃないけど、そういう生き方をしてる」
とラストシーンで、マークは言われてしまう。それが全てだ。


好きなシーンがある。

ショーンパーカーにシンパシーを感じたマークは彼の虜になっていく。ショーンを家に住まわせ、仕事場としている。仕事場にはショーンの連れ込んだ女が入り浸り、親友だったはずのエドワルドはずぶ濡れで家の前に現れる。ショーンはエドワルドにあからさまな敵対心を向け、経営者を気取っている。エドワルドはイラつき、二人で話そうとマークを呼ぶ。
マーク「クリスティ(エドワルドの彼女)はどう?」
エドワルド「あいつはおかしいんだ。異常なくらいに嫉妬深いし、ほんと正気じゃない。俺は彼女が怖い」

翌日、銀行に行き、会社の口座を凍結するエドワルド

その後、エドワルドが一人で寝ていると、クリスティがやってくる。電話にでず、メールを無視している事を責められる。そこに、マークから電話。
マーク「口座を凍結したな!会社を潰す気か!」
エドワルドの背後で、プレゼントのスカーフに火をつけるクリスティ。出て行くクリスティ。気づき、慌てて消火しようとするエドワルド。


このシーンで面白いのは、エドワルドがクリスティに感じている恐怖や苛立ちは、そのままエドワルドがマークに行っている行動と鏡像になっている事だ。しかもエドワルドはそのことに自覚が無い。電話もメールも出てくれない。相手を責め立て、嫉妬に駆られて取り返しのつかない行動を起こす。文字通り、二人の関係には火が点いて、灰になろうとしているのを必死になって消火しようとする。シーンのラストには、

クリスティと別れる決断をするエドワルド。
ショーンパーカーを無表情で見つめるマーク。
が対比される。彼らが、再び友情を再生しコンビになる可能性を示す。


大事なのは親友だ、とお互いの想いが通じ合う。
となれば良かったものの、そうならないのがこの映画の皮肉なところだ。

この映画を冷たいと感じる人もいるかもしれない。
でも、天才は天才ゆえに孤独なのだ、というストーリーに収めておく方が優しいと私は感じる。現実には、天才で生まれも育ちも良く、顔も良くて性格もいい、年収も才能も持っている、そんな到底太刀打ち出来ないような人物が本当にいるからだ。実際のマークザッカーバーグもそうなのだろう。そんなのは、やりきれない気持ちになるだけだ。

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