街の帰り道
今年がはじまってすぐに、家の前の公園のナイター照明が取り壊された。ぼくがこの家に初めて来たときからあった大きくて高い灯だ。
それが無くなってしまって半月もすると、有ったときのことがもうだいぶ朧げになってしまった。かなり大きな設備で、高さもあり、雄大な存在感でそこにあったはずなのだが。
しかし、気がついてみれば家から見えてたボーリング場の天辺についていた大きいボーリングのピンの飾りも、いつの間にか無くなっている。あれがこの辺ではいちばん高い建造物だったのに。
考えたんだけど、人が集まり栄え、そうすると大きな建物が出来てきて、高さが出る。少し不自然な高さの人工物が建立される。それは集まった人たちの不断のメンテナンスにより、倒れないように維持されていないと立っていられないのだ。なにしろ不自然なものなので、自然には立っていられないのだ。しかし、倒れたら甚大な被害が出るだろう。
だから人が集まり栄えたことにより建立された不自然な大きさの人工物は、集まった人がだんだんそこから去ると、いつしか危険物と見做されるようになるのではないか。
次に強い風が吹いたら倒れるかもしれない、しかし、あのような無意味なものが倒れないように働く余剰の人員も金員もすでにそこには無い。じゃあ、倒れる前に片付けようか…。そうやって少しずつ景色がなだらかに戻っていくのだ。
風が吹いたら倒れるようなものは、少しずつ片付けられていく。嵐で花が吹き飛んでいくのとは勝手が違う。建てられてきた時間の何倍もの時間をかけて、少しずつまた片付けられていく。街がここから帰り道をとぼとぼ去って行くような様子を、この家でこれからずっと見続けていくのはとても切ないけれど何だか安心するし、見ていられて良かったなとも思う。
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