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雑司が谷散人の街道遊歩 0425

東浦賀道 2日目-04 2018.7.22

浦賀といえば黒船来航。
浦賀奉行が対応に当たったことから、浦賀道の往来も慌ただしかったと思われるが、ペリーの上陸地は久里浜。
よって浦賀は来航地、久里浜が上陸地で、上陸記念碑などは久里浜にある。

浦賀

古くから天然の良港として注目された浦賀。
鎌倉北条氏の水軍の拠点であり、江戸期には干鰯問屋が軒を連ねた。
浦賀の地名は古くは浦河、浦川と書いたともいわれ、川のように深く切れ込んだ入江の様子に因むという。

浦賀

ペリー来航時に開設された浦賀造船所。
明治に入ると艦艇建造は横須賀に移り、浦賀造船所は明治9年閉鎖。
その後浦賀船渠となり、石川島造船所との受注合戦も。
艦艇建造では駆逐艦建造の名門。
戦後も艦艇建造は続き、浦賀の工場は平成15年に閉鎖

浦賀造船所

ドック前バス停を過ぎると、浦賀道は旧道が県道右手に分かれ、浦賀丘の崖下に沿って南下する。
川のように切れ込んだ浦賀港を挟み、観音崎側が東浦賀、久里浜側が西浦賀。

崖下の道

浦賀道旧道は叶神社前を南へ。
西浦賀の叶神社は西叶神社とも呼ばれ、対岸の東浦賀に東叶神社がある。

西浦賀

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