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戦国武将に学ぶ弱者のズルい戦い方「各個撃破」

時代が時代なら、僕もきっと刀を持って馬の背に跨がり、生きるか死ぬかの賭けに出ていたんだろう。朝、目を覚ますとふと、思うときがある。今日がこの世で最後の日かもしれないという緊張感。そんな世界で、今を生きる多くの人は生きていない。もちろん僕もだ。戦国の世に想像をめぐらすのも、ゾンビドラマに引き付けられるのも真逆の渇望に飢えているのだろうか。そんなはずはない。僕は未来を描いている。勝つしか選択肢がない世界は負ければ愛する人も自分も消える。そんな現実は受け入れられない。

戦国の武将たちは日々、その現実に向き合ってきたはずだ。だから学ぶべき本物の戦略がある。僕が尊敬する黒田官兵衛、真田昌幸、徳川家康のような人たち。彼らの思考の足跡はその行動を通じて、戦略を垣間見ることができる。

たとえば黒田官兵衛が見通した信長の天下統一。織田信長の天下布武は当時の状況を振り返れば、現代で日本の総理がアジア統一を宣言するようなものだろう。いまの総理がそんな夢を語ったとき、人は信じるだろうか。夢想家と笑うか。その前にやることがあるだろうと怒るか。黒田官兵衛は信長の人物を見抜いた。その理由のひとつは、彼が常に情報を集め、どう生き延びるかを考えていたからだという。ただ貪欲に領土を拡大するのではない。武力だけでなく、情報を駆使した。桶狭間はその好例だ。信長は今川義元の首を取った武者ではなく、桶狭間で酒宴を開く情報を得た者により多くの恩賞を渡したという。現代でも、激動の時代を生きるために情報は欠かせない。勝てるホームページには入念な競合分析が必要なように。

大好物はなんといっても、小が大に勝つシナリオだ。信長の桶狭間の戦いも信長軍2000に対し、今川軍は25000ともいわれる。10倍近い兵力に挑んでいる。現代の企業で言えば、サイゼリアに挑む地方エリアのイタリアンだ。全国に認知のあるサイゼリアに完勝するのはまず無理だろう。信長の戦略を参考に勝機があるとすれば、各個撃破。つまり、北陸地方に全リソースを注ぎ込んで短期間で、サイゼリアが気づかないうちに勝つ。大きな兵力はまとまるれば攻撃しようがないが兵力を分散して100を10にして、10を1にすれば元は10倍の勢力に勝てるのだ。信長はこれを奇襲で行った。

この各個撃破は、弱者の戦い方として大いに参考になる。真田丸で有名な真田幸村(信繁)の父、真田昌幸もまた各個撃破が大の得意だった。徳川軍7000に対し真田軍2000で戦った、第一次上田合戦。桶狭間ほどの兵力差はないが徳川は楽勝だと思っていた。真田昌幸はそこを逆手に取る。上田城内を迷路のようにして通路を狭くし、まとまった兵力を縦に伸ばし分散させた。圧倒的な兵力差に慢心して構わず乗り込んできた徳川軍は四方八方から真田軍に突かれた挙句、後方の軍はせき止めた川を一気に放出されて断ち切られる。あとは真田昌幸の思うつぼ。城内に残った兵は逃げ場を失い大パニックになった。真田の損害は40人に対し、徳川は1300人にのぼったという。

どれだけ武力が強くても、力を分散されたら強者も負ける。それが各個撃破の考え方だ。えてして、小が大に打ち勝つのはこのパターンが多い。そして面白いのは10倍の兵力差があっても、10分割されて兵力が対等になったとき、小のまとまりは10分割された強者よりも強いということだ。大企業の平社員より、中小企業の幹部の方が経験もスキルも上のことがあるだろう。そういうことだ。

しかし、僕は思う。この戦略のほんとうの秘訣は、分割して小さくなったところを叩くという構造ではない。強者もみすみす分割されるほど油断しないだろう。最重要事項は「目立たないこと」ではないか。バレずに、こっそり、強者が気づかないうちに分断する。織田信長は攻める直前まで誰にもそのそぶりを見せなかったという。見方に対してもだ。真田昌幸も長男信之を、こっそり川上に配置し川をせき止めた。徳川軍に悟られず事を進めた。城内に入ったら迷路みたいになってるから、徳川軍はさぞ驚いたろう。この「目立たないこと」は今の時代において非常に重要ではないかと思っている。特に僕のような弱い個人起業家はそうだ。

目立てば、強者に目をつけられる。ライバルのやっかみがあるかもしれない。現代は口コミが大きな影響力を持つのでSNSや誹謗中傷をビジネスに大きな影響を及ぼす。膨大な予算を投じて、自分のマーケットを取りに来られたらひとたまりもない。自分のキャパオーバーの仕事を引き受ければますますリスクは大きくなる。目立つことはリスクなのだ。だから、ズルいかもしれないが弱者はコソコソすべきだ。静かにゆっくりと準備を進め、実力をつけてこっそり勝てる方法を模索する。それが現代の信長的、真田的戦略だ。あなたはどう思うだろうか?