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100%の解決よりも次への1歩を目指して vol.5

CAMさんのインターンも折り返しを越え、5日目に突入です。本日も僕の学びにお付き合いください。また、CAMさんのnoteのリンクも下に貼っておりますので、お時間あるときに是非。

身体からも感情を読み取る。吸い取る。

本日も例のごとく宿題の開示から入りました。3人一組になり、お互いにコーチングをし合うこの宿題も気づけば3回目。全員が全役をやること、つまり一周がひとまずのゴールだったため、今回が最後の宿題開示となりました。

僕は今回オブザーバーだったのですが、率直に「あれ?何か上手くない…?」ってなっちゃいました。その感想は、他のオブザーバーの皆さんも抱いていたみたいで。これはきっと、技術やポイントではなくて、コーチとしての在り方が自然と染み込んできている証拠なのではないかと思います。”とりあえず”コーチングをやってみることで、感覚的に身に付いてきている力が確実にあるということです。そしてこの在り方が感覚的にわかってきていることは、コーチとしてもそうですし、コーチングを勉強する上でも”しっくり度”が違うように感じます。そして、このしっくり度は学びを自分の力に変える上ではものすごく重要なものだとも思っています。学びが加速するような、そんな予感が少しだけ。うん、すごく素敵な環境です。

共有した後は【内省タイム】。「今、私が持っている”願い”は何だろう。」というテーマで内省を行いました。しかし、ここで、ふと疑問。

「そもそも内省をする意味ってなんだ?」

この答えは、言われてみれば思い当たる節はあるけれど、言われなければ考えもしないようなことでした。それは、「心だけでなく、内臓にも感情を受け取る機能がある」です。すぐにイメージができない人は、人前に出て喋るときや大きな大会の前など、何か緊張する場面を想像するといいかもしれません。このような場面の際に、漫画では恒例行事のごとくお腹を痛める人が出てきますよね。それは、心と内臓が繋がっている何よりの証明になるかなと思います。つまり、自分の心の状態だけでなく、身体の状態、「倦怠感」や「痛み」といった部分を理解しておくことは、自分の深から出た”願い”を言語化しやすくすることに直結するのです。時には、「痛み」や「疲れ」といったいわゆる「苦しみ」に変わる部分は”弱み”と見られてしまうこともあるでしょう。そのせいで、口に出すことを憚る人も多いことと思います。少なくとも僕はその一人です。しかし、素直に口に出せることは、それだけ「自分のことを理解している」ことと同義なのです。そしてそれは、”願い”を具現化し、行動に強い意思を持たせることに繋がります。憚る必要などないのです。むしろ、出すべきなのです、吸い取るべきなのです。身体も大切な、あなたの一部なのです。

「質問」の質向上委員会、始動。

内省タイムのあとは、より「クライアントの芯を引き出す」ことに焦点を当てたものへの。つまり、コーチとしての質問の質を上げるための勉強をしていきました。

【人を動かす質問】オープンクエスチョンとクローズドクエスチョン】【タイミング】【クライアントの返答の見方】

等々、大切なことをたくさん勉強しましたが。。。僕が何よりも「これいいな」と思った質問は即決でこれでした。

「あなたがドラえもんだったら何をしますか?」

これ、個人的にめちゃくちゃ面白いと思ったんです。

人は、特に悩みや壁にぶつかっているときほど、「可能性」を考慮する生き物だと思っています。なんせ、自分がそうなので。簡単に言うと、「できない理由」を探すのです。そして、「できない」への衝突を繰り返し、沼にハマるのです。そして、そういったときほど人は「賛同」を求めます。他人に自分の今の状況を受け止めてもらうことで、共感してもらうことで、心に余裕を持たせようとします。しかし、それでは根本は解決しないのです。さらに言えば、それは、その人が本当に求めているものではないと思うのです。なぜなら、賛同による苦しみからの解放は一時的なものでしょう。しかし、その悩みや壁の解決が、変化がなければ、同じ苦しみを味わい続けることになるからです。そんな「自分の苦しみ」を一定間隔で味わい続けるなんて苦痛、僕には到底耐え難いです。

でも、こうとも取れると思うのです。悩みや壁にぶつかることは、自身の変化の兆しであると。乗り越えられるかどうかやどう乗り越えるかといったことはまた別です。ただ、今起こっている苦しみは、自身が求めている理想とのギャップから生じることは往々にして考えられます。だからこそ、受容するのではなく、100%の解決をするのでもなく。いかに、自身の理想、願いのための一歩を踏み出せるかなのだと思います。もちろん、先ほども言ったように乗り越えられるかどうかやどう乗り越えるかはまた別の話です。でも、やっぱり変化は、一歩踏み出すことは恐怖でしょう。それなりの苦痛や苦労が必然的に発生することは目に見えているのですから。それでも、一歩を踏み出すために。ありたい自分であるために。そのための、「コーチ」であり、「コーチング」というあり方であると思うのです。だからこその、技術としてではなく、共に在る「生き方」「在り方」としてのコーチングをCAMは掲げているのだと思います。

そしてそして…。前置きは長くなりましたが。こう思うからこそ、先ほど挙げた質問はとても面白いと思うのです。「できない理由」を探させない。何でも叶う状況だからこそ浮き出てくる自身の心からの”願い”。ユーモアもありつつ、でも、本質は突きつつ。とても、素敵な質問だと思うのです。こんな質問を、多面的な、本質的な質問を。難しく考えすぎず、でも、クライアントの声を聞いて自然に提示できる人になりたいですね。そうなると、僕まで心地いい気がしてなりません。でも、こればっかりは実践と反復だなと思っています。フィードバックをその都度繰り返し、色んな回答を積み重ねていく。そうすることで自身の力として確立するのだと思います。精進せねば、ですね。とりあえず、しばらくは盛大にパクらせていただこうと思います。どうか、ご容赦くださいませ。

THE ZISSEN!

インプットした後はアウトプットの時間。今回は、一人の人をみんなでコーチングしていきました。

うーん、難しい!非常に難しい。難しいと感じると言うことは、まだまだ「質問しなきゃ」と考えてしまっているからで。

単発的な質問をする人もいれば、他の人の質問の回答に付随した質問をする人もいて。別にどちらが正しいというわけではなく、どちらも、多面的に見ていくためには必要なプロセスで。大切なのは、この後一歩を踏み出すために。クライアントが絞り出した言葉を、握るべきものをしっかりと言語化することだと感じます。ただ、これもやっぱり積み重ねが必要で。それもあってか、これからの宿題は、外部の人をコーチングすることになりました。より、実践的に。より、力に変えるために。

特訓あるのみ、です。

それでは。



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