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日記+「おさなごころを、きみに」展見る(2020年8月28日)

朝食抜き。
昼食は現代美術館内のレストランでランチセット(鶏肉のコンフィ)。
午後に千疋屋でチョコバナナミニパフェ、紅茶。
食べ過ぎたので、晩は家に残った水菜と卵の炒め物のみ。

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今日は東京都現代美術館に赴き、上記の展覧会を見た。子どもも大人も楽しめるよい展示だったと思う。体験型の展示がそこまで多いわけではないので、どっちかというと大人のが楽しいかな…。

冒頭では8Kテクノロジーを用いたさまざまな映像が流れていた。全体的にNHK味が強く(特に五輪にあわせた桑田佳祐の歌など)、美麗さ以外にはそれほど感興をそそられなかったが、『MADD.』という既存の映像のサンプリング集?は非常に良かった。

これはテニスでボールを打つ際の衝撃を、手元の小さなテニス台に再現したもの。位置や強さまで伝わるので、目の前の試合が手のひらで行われているような不思議な感覚になる。

コンピュータで漢字やアルファベットをランダムに組み合わせた、いわば存在しない言葉を集めた辞典。年号の平成や令和も、ずっと前の時点でこの中に収録されていた。これが本棚にあったら、謎の威圧感を与えられそう。

その場で、ランダムな人名も作ってくれる。おれは「苫米地ダニエル孝太郎」だった。脳科学をベースにしたサービスで金を集める詐欺師になった気分。

他にもいろいろあったが、一番心に残ったのは同時に開催されていた「もつれるものたち」展のリウ・チュアン『ビットコイン採掘と少数民族のフィールド・レコーディング』だった。中国、アジアの少数民族にまつわる問題と、ビットコインのような先端技術が交差するときの光景を、多くの文献等の引用を用いながら、3面の印象深い映像で表現していた。

非常に良かったのが、強いメッセージ性があることはすぐに理解できるが、それが何なのかを大上段に打ち出さないことだ。この展示では、後半に少数民族の顔写真を次々に表示し、その顔は近年の技術により次の顔にシームレスに移動する(顔合成アプリのようなもので、個人のスマホでも可能だ)。言葉にすれば、失われる人間(その集合である民族)、そして失われる人間性のことを訴えている。だが、それをそのまま言われても、おれは申し訳ないがそこまで興味を持てない。

現代美術のことがわからなくても興味深く見てしまうのは、答えを出さずに考えさせる機能があるからだと再認識した。アートとその他の違いはそこにあるのかも、と思った。

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