結婚が足枷になっている知人を見て思うこと

1人身軽に生きたい人は結婚には向いていないのだろうが、同じような考えを持つもの同士が付き合い続けるのは難しいだろう。
そもそも結婚すると、相手の人生を背負うことになるのだろうか?パートナーは身軽に生きることを阻む足枷になのか?
結婚とは一緒にこれから先長く生きていくという誓いのようなものだと思っているのだが、違うのだろうか?お互い働いてれば少なくとも経済面では背負ってるってことはないんじゃないか?
私はかつて結婚をする必要も意味もわからなかったのでしない予定だった。今もあまりわかってはないけど、相手がいると結婚以外の選択肢は見えないものだ。

結婚は昔は家と家の結びつきを強めるもので、今の世の中とは在り方が異なっている気がする。

とはいえ、家族にはなるので両親同士も身内になるし、やはり家族同士が仲良くできないならいくら核家族世帯が増えているとはいえ幸せな結婚ではなさそうにも思う。

家長である父親が一家の大黒柱として支えるというのはもう古い気がするが、娘さんを幸せにしますというセリフはまだ典型的な実家への挨拶文句として存在している。息子さんを幸せにするという女のセリフは聞いたことがない。

1番好きな人とは結婚できないとはよく言ったものだが、結局は家族同士の付き合いも含めて結婚だと自分だけが好きでは違うように思う。また、好きという感情はピークを迎えれば萎んでいくもので、ずっと最高値を出し続けるものではないからこそ、1番の人より、少し低空飛行した好きをキープできる相手との方がうまくいく、という意味なのかもしれない。私には1番2番と過去を振り返るほど相手はいないのだが。

結婚を迫られる彼女に押されても踏み出しきれず躊躇っている男性の話をよく耳にする。女性は背負うという感覚がない人が多い印象だが、男性は責任を感じるものらしい。

結婚とはタイミングだともよく聞く。貯金があるかや、仕事が安定しているかなど、いろいろと要素はあるが、結婚したいと思っているかどうかという気持ちは本当に流動性の高いものだと思う。

少しのタイミングのズレで、好き同士が付き合わず、別の人と結婚することになるのだから、パラレルワールドが存在するならもう満員電車のようにひしめき合っているだろう。

自分の選んだパラレルワールドの世界に責任を持って進んでいくのが大人なのかもしれない。

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