平日会社員・週末シンガーという生き方
10月は苦手だ。
小さい頃から10月は自分にとって嫌なことが多い。
長距離走が運動の中で大の苦手なわたしは
特に秋の行事では、マラソン大会が心の底から大嫌いだった。
体力の無さからか、長距離を走ったあとは過呼吸になる。
そのうち目の前が真っ暗になり、星が見える。そして、嘔吐する。
湿ったような土の香りと稲やもみ殻の野焼きの
強烈なにおいが混ざった10月の空気は
毎年毎年、記憶の底からそんな苦痛を無理やり思い出させるかのように
引っ張り出してくる。匂いの記憶力とは恐ろしいものである。
と、そんな季節の最中。
気づけば来月は誕生日が来る。
まもなくわたしは26歳。
世間的にアラサーと呼ばれている年代へ
しっかりと足を踏み入れるのである。
最近、自分の生活スタイルについて考えることが多くなったので
少し過去を振り返りつつ、自分語りをしたいと思う。
小学生の頃、ちゃおという少女漫画雑誌を愛読していたこともあって
イラストを描くのが好きだったわたしの当時の夢は漫画家だった。漠然と。
よく父から「漫画家は物知りじゃないと出来ない」と言われていた記憶があるが、今思うと本当にその通りだと思う。
呪術廻戦を観てると本当によく感心させられる。
実は、自分の頭の中で物語を展開し、完結させることが昔も今も苦手。
それ故か、漫画家という夢はいつの間にか自然と消滅した。
中学生の頃、憧れていたのは"歌える声優"。
がっつりアニメヲタクへと成長したので
アニメに関わることをしてみたかった。
この時は絵ではなく、自分の声で。
私が今、歌をうたっているのもここが原点であることは間違いない。
高校生の頃、放送部でそれなりに良い成績を修めていた私は
アナウンサーに憧れていた。
アナウンサーと言えど、様々な形態があるが
当時はテレビ局のアナウンサーしか知らなかったので
当然目指す就職先はラジオやテレビの放送局だった。
進路を考える時期に入り、
地方テレビ局の入社受験資格を見ると「大卒」とあったので
高校入学当初、大学に行くつもりは無かったのに
「大卒」という称号を得るために高3になってから大学を目指し始めた。
普通科ではなかったため、大学に入るのも簡単ではなかったが
ここまではいわゆる優等生と呼ばれる部類にいたため
推薦をもらって公立の大学に合格した。
ちなみに、結果を大学に提出する必要があったため
センター試験を受ける必要があり
何よりも苦手、かつほぼ無勉強で受けた数学では
16点という人生史上最低点数を叩き出した。
逆に何を正解して16点も得られたのか、不思議でならない。
そして、大学入学早々、成績不振者の補習を受けることになる。
大学生の間は、カラオケでのアルバイトと
高3から始めたアイドル活動に明け暮れる。
本当に、どちらもかけがえのない大切な人生経験で
どちらかを欠かしでもしたら、今のわたしには辿り着かないと思う。
しかし、お察しの通り、大学の単位はギリギリ。
真面目な学生が多かったうちの大学では完全に落ちこぼれ。
結局なんとかなって卒業できたからヨシと思い込んでいるが
根が大真面目なわたしは、真面目に大学に行かなかったという
若干の後悔が未だ少しだけある。
就活時期、東京に行くことを決心するも、
受けた会社は全て適性検査で不合格。
自分には東京で生きていく適性がないのだと
置き換えて思い込み、半強制的に上京を諦め
地元で一発目に受けた今の会社に拾ってもらった。
だからと言って、東京に未練があるわけでもなく
何なら今では地元から出たくないと思うほど。
(暮らすという点において)
何よりもあの時、諦めずに上京の道を選んでいたら
今頃どうなっていただろう。
間違いなく言えるのは、きっと新生活にかまけて
歌を続けられていなかっただろうということだ。
現状、わたしは平日・会社員。
週末はライブ活動をするという生活を送っている。
活動自体は8年、仕事と両立し始めてからは4年である。
気づけばどちらも大切なものになってきている。
今のわたしにとって歌とは、仕事であり、仕事ではない。
いわゆる、友達以上恋人未満のような、そういう関係でありながら
大げさではなく「生き甲斐」なので一生離れられないと思っている。
最近では会社の中や、仕事で関わる方にも
こういった生活をしていることを自分から言うようになった。
別に隠していたわけではないが、今までは何故か言うことはなかった。
すると、「すごいね」と言っていただくことが多い反面で
「大変じゃない?」と心配されることも増えた。
ぶっちゃけ、もちろん大変である。楽なことはない。
でも、なぜこの生活が続けられているかというと
やはり慣れたからという他ないと思う。
では、どこからそのエネルギーが湧いて出てくるのかというと
これはもちろん「好きだから」というモチベーションが第一ではあるが
平日の会社員としての仕事から受ける影響が大きいと考える。
ストレスって溜まるやん。
嫌な人がいるとか、嫌な仕事がある、とか
そういう特定のマイナス要素だけじゃなくて
そこに居るだけで気を遣う、とか
本音をわざと言わない、とか
アルバイト経験ではそこまで感じなかった
会社という組織の中でどうしても発生するストレス。
わたしはそれがエネルギー源だと考えている。
だから、仕事も歌も両方必要なのだ。
この世を生きる上で、お互いが相互作用をもたらしている。
今年、asir reraとして活動し始めてから
自分で作詞した「Yell Song」では
みなさんへの応援歌と言いつつも、
そんな今の等身大のshizukiを表現しているつもりでもある。
↑こんな感じの歌です。聴いてみてね。
25歳の期間も、あとわずか。
さて、どう過ごそうか。
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