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隣の席のおじさん(短編小説)

隣の席のおじさんは、いつも一人で喋っている。
誰かと話しているように見えるけれど、おじさんの前には誰もいない。ぶつぶつ言っていてよく聞こえないが、ふざけるなとかバカヤロウとか、何かに怒っているようである。

地域のパソコン教室で、そんなに怒ることがあるだろうかと思うけれど、本当にパソコンが苦手なんだろう。
ここはペアの私がフォローしてあげなければと思い、「そこは右クリックですよ」とか「insertキーを押すと直りますよ」とか教えてあげる。
私が教え始めるとおじさんは喋るのをやめて、言われた通りにパソコンを操作する。
時々言った通りにしてくれないこともあるけれど、上手く伝わらなかったんだなと思って諦める。

私は、おじさんがどうしてパソコン教室に通っているのか知らない。家族はいるのか、仕事はしているのか、何も知らない。
私とおじさんは、パソコン教室のペアであって、友達ではないからだ。
おじさんが時々話しかけてくるけれど、話が長くてまとまりがないし、一方的に喋り続けるので、適当に相づちを打って、ほとんど聞いていない。

いつものように、「NumLockを押すと打てるようになりますよ」などと教えていると、おじさんがモゴモゴと口を動かしている。
気にせず自分のパソコンで作業をしていると、何やら視線を感じる。
「優しいふりして、馬鹿にしやがって」
おじさんがこちらを見ていて、びっくりした。
思わず「え? 」と言ってしまったが、おじさんは聞こえなかったみたいに前を向き、またぶつぶつと言っている。
 
聞き間違いかと思い、家に帰って考えてみたけれど、どう考えても言っている。
そんな馬鹿な話があるか。こんなに親切にしてあげてるのに。
翌週、物申すつもりで席に着いたが、おじさんはいつもの通り、こちらを気にせず一人で喋っている。私がおじさんの作業に口を出しても、言われた通りにしている。そうこうしている間に一日が過ぎ、全六回のパソコン教室が終了した。
 
先生が修了証書を配り始め、おじさんも呼ばれて受け取りに行く。おじさんが無事修了できたのは、私のおかげじゃないかと思いながら、自分の名前が書かれた薄っぺらいA4の証書を見つめる。
毎日家にいても暇だからと参加したが、知っていることばかりで、得るものはなかった。同居の両親は、私に早く働いて欲しいらしい。私は困っていないのに。
 
修了式が終わった後、参加者の女の人から、これからみんなで食事に行くから一緒にどうかと誘われた。周りは親しい様子だったが、私はその女の人とも話したことがないので断った。おじさんは多分、誘われてもいない。
優しいふりして、馬鹿にしやがって。
帰り道、歩きながら思い返す。本当にその通りだなと思った。

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