キミコ100000
キミコは診察室をぐるりと見渡した。
白く清潔感のある壁に、分厚い本が何冊か置かれた机。アクリル製のパーテーション越しに、カルテを記入している医師の姿が見える。無駄がないインテリアだが、彩りもない。自身の、ふっくらとした柔らかい手を揉む。どうも居心地が悪く、丸椅子の上で身じろいでしまう。
「小鶴キミコさんですね。僕は凸森といいます。本日はどうされましたか」
「あ……えぇ、その、変なことを言うようではあるんですが……娘にねぇ、病院へ行きなさい! なんて言われたもんですから」
「いえいえ、構いませんよ。些細なことでも、なんでもお話ください」
凸森は眼鏡の奥の細い目をさらにぎゅっと細めた。胸元の名札には「凸森こころクリニック 院長」の文字と、顔写真が嵌め込まれている。この優しげな医師は、話を笑わずに聞いてくれるだろうか。キミコはジーパンに腹の肉を食い込ませながら、不安げに話を切り出した。
「あの……変なものが、見えるんです」
火葬を翌日に控えた日のことだった。
襖を一枚挟んだ向こう側には、母が安置されている。葬儀場で借りた布団を敷き終えた頃、部屋を覗いていた娘がこちらへ振り向いた。
「ねぇお母さん。婆ちゃん、寝てるみたいね」
「そうねぇ……綺麗に化粧してもらえたから」
老衰だった。最後は家族に見守られながら眠るように亡くなったので、良い死に方だったのではないかと思う。今日は喪主であるキミコが中心になって、寝ずの番を行う予定だ。リカは、夫に似て朝に弱い。年頃の娘には身だしなみを整える時間の確保が重要、とのことだったので寝かせるつもりである。
他の部屋には妹一家が泊まりに来ている。弟はというと──相変わらず、連絡一つない。
母の思い出がよぎって、寂しくて、ふとした瞬間に涙が出そうになる。
顔を見るために、襖を開けた。
母の遺体の足元に、ホースが長く伸びたシャワーヘッドが浮かんでいる。
【続く】
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