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萌えと情緒と創作

いにしえのオタクなので、「萌え」という単語が全盛期だった世代である。
昨今とって代わったのは「推し」や「尊み」のあたりだろうと思う。
二次創作意欲にまみれていた学生の頃、さんざ「萌える!何か描こう!」と言ったものだ。
感動屋とまではいかないだろうけど、年間30本ほどは映画を見る学生だったのでなんでもエモかったしなんでも萌えた。
この意欲はテスト期間中だろうとなんだろうと無くなることはなかった。

社会人になったあとは、基本的な感想は全部「かわいい」になった。
なんでもかんでもかわいい。ゲスでもアホでも悪さをしててもかわいい。
語彙力は死んでるが創作意欲もあったし元気いっぱいオタクを謳歌していた。

しかし繁忙期の頃になって、ある時突然不思議なことが起きた。
時々エッセイ漫画とかでも見る「萌えられない」ってやつ。
いや、似てるけどなんか本質的に全然違うな。

……何も感じないんだこれ!

まじでビビった。面白いとも面白くないとも思わない。
かわいいとかかっこいいとか、萌えとか、なんも感じない。
あるのはただ無、のみ。

理由はまあお察しの通り繁忙のせいである。
この時の私は3箇所で働いていて、そのうち2箇所が繁忙期だった。
片方は8時間労働、もう片方は平時は3〜4時間勤務のところ繁忙のせいで14〜15時間勤務になっていた。
しかも家でやらざるを得ない創作仕事を持ち帰っていたため、ほぼ毎日20時間は働いていた。
そしてその時、上司とクソほど揉めていたのだ。

おとずれたのは情緒の死である。

繁忙を過ぎて、私は3つの仕事のうち2つをやめた。
そうするとあら不思議、みるみるうちに楽しくなってきた。
かわいい…かわいいじゃないか!!!!ぎゃー!!
と家でアニメを見ながら暴れ回った。
そんでいっぱい二次創作もした。意欲爆発である。リバウンドみたいなもんだろう。
ちなみにアホみたいに散財もした。そこは節度を持つべきところであるが、節度は情緒と共に帰ってきてはくれなかった。

人間、忙しくなりすぎたり精神的に追い詰められすぎると情緒が死ぬという典型的な例だと思う。
情緒が死んでる時、何も感じないことが怖くてもはや自分に引いていた。
意味わかんないしね。映画もアニメも漫画もゲームも好きなやつが、何にも観れなくなるの。
情緒が死にすぎてて、たまの休みの日に部屋で虚空を見つめて過ごしていた時は我に返った瞬間絶望した。

なので、情緒が死んでるなって自覚がある人がいたら、ぜひ休んでほしい。
仕事が忙しくてつらいなら仕事やめた方がいいと思う。
特にオタクの人、オタクだった人は、これが一番分かりやすい兆候な気がする。
じゃあ楽しめてるうちは大丈夫なのかって言ったら、それもそうとは言いけれない気はするけど。
まあひとつの指針にはなるんじゃないだろうか。

インプットできたらアウトプットしたくなる。
そういうタチの生き物はインプットできなくなったら危険と覚えるべし。

ではまた。

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