見出し画像

「愛する人がいない」ことのパワー損失

ここ最近、ずっと元気がない。

まあ自分は体力がない方であるというのは自覚しているわけで。
それでも、例えば高校の時にそれを強く感じていたかというとそんなことはなく、社会人、特にここ最近強く感じることでもある。
私の最大の弱点であり、心の底から解消したいと思っている。

ではなぜ、世の中の人はあれだけ仕事を頑張れるのだろう?

自分が前いた会社は、地位が高くなればなるほど忙しい。
その忙しさは想像を絶する。時間が長いだけでなく、密度も相当なものだ。
いくら世間より高給といえど、せいぜい1000万円台だ。手取りにすれば大した差ではない。
だけど、上の人たちは驚くほど働く。

どこにそんなパワーが?と考えたら、やはりそれは家族なんだと思う。

自分のためだけに動ける人は稀だ。
自分の生活が変わると傷つく誰かがいる。路頭に迷う誰かがいる。その誰かのために頑張る。
カッコつけたい相手がいる。靡かせたい相手がいる。その相手のために頑張る。

なんでもいいけれど、家族や愛する人ってのは本能的に大きなモチベーションなのだ。

今の私には、それがない。


親は愛してる。弟も愛してる。
だけど彼らは、別に僕の助けを必要としていない。
僕は27で弟は24、両親はすこぶる元気。当然だろう。

私に求められているのは、私自身が愛する人、ないしは自分が長であるところの家族だ。

もちろん、家族なんてのは生半可に作るものではないし、こと恋愛結婚がポピュラーな現代日本では、先に愛する人を作らないと話にならない。
だがこれが、驚くほど出来る気がしない。

最後に人を愛したと言えるのはいつだろうか?

直近の恋人のことは、好きだった。
だが、愛していたかと言われると言葉に詰まる。
結婚するつもりは毛頭なかったし、それを相手に伝えてもいた。話が特別合うわけでもなければ、趣味趣向も全く違った。
ただ、嫌いだったわけではない。私の仕事を受け入れてくれたし、私のわがままに耐えてくれたし、むしろかなり感謝している。間違いなく好きではあった。

ここで言う愛してるというのは、自分が一人で生きている時以上のパワーを錬成し、それを注げるような存在であるかどうか、ということだ。
直近の恋人と付き合っていたことで、つらい仕事に耐えることもできたし、切り替えられもしたが、その人のために頑張っていたかと言われると、かなり微妙なのである。

では、この定義を満たす「愛してる」となると、それはやはり6年付き合ったが酷い裏切りをされて別れたMさんになる。

Mさんは、向こうから告白され、付き合ってから互いのことをどんどん好きになっていった。
だからその愛も、歳を重ねるごとに強くなっていった。

多分私はそういうタイプなんだと思う。
付き合ってからでないと分からないことが多すぎるし、付き合ってから相手の魅力を掘り起こして、それを愛していくタイプ。
ただ、そういうタイプにとって、交際相手が最も結婚を意識する年頃である27という数字は、余りにも荷が重い。

最近、そもそも「好き」にさえならない。
いくら付き合ってからどんどん好きになるタイプとはいえ、スタートラインで最低限の「好き」は欲しいものだ。
ただ、もう別に好きじゃなくても平然と「好き」と言えるようになってしまったし、男女の友情を余裕で成立させてしまう自分にとって、女友達を「好き」になることもほぼない。
ほぼ、と保険をかけたが、実は元々女友達だったがその後好きになったパターンが人生で一度もないのだ。一旦友達のカテゴリーに入ると、ずっと友達になってしまう。

つまりは、初手の出会いからある程度異性として意識しないと「好き」の相手になり得ない。初手の出会いで異性として意識するなんて、合コンとかアプリとか「そういうこと」を目的とした場でない限り、気持ち悪いだけだ。
ただ実際に合コンやアプリでそういう相手に出会えたことがあるかというと、一度もない。



私は最近元気がない。
元気がないのは、愛する人がいないせいだ。

愛する人がいないなら、探せばいい。
付き合ってから深く愛するタイプだから、まずは付き合えばいい。
付き合うには最低限の「好き」が必要だが、それすら抱けない。

どうすれば、私は元気になれるだろうか?

この記事が参加している募集

今こんな気分

いただいたサポートは、大学院の研究生活に必要な経費に充てさせていただきます。