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22歳、初めての個展

ありがたいことに、卒業展でとあるギャラリーの方からお声がかかり、渋谷で個展を開催する運びとなりました。実は今展示始まってます。久しぶりの投稿ですが今回は初めての個展をやってみて感じたこと、プロセス等をまとめてみようと思います。またトップの写真は「入口」というタイトルの粘土作品です。

①始動・早速鬱

実際に展示日程が決まったのは2月中頃だったのですが、なんでもお尻に火がつくまで始動しない私が制作を始めたのは7月頃でした。しかし。8月に感染者が激増して、ワクチンを打っていない私はただただ家に引きこもることしかできず(「自粛する」という選択肢を選べる立場にいることは忘れちゃいけないなあと思います。)引きこもり始めて一週間経った頃からだんだんと体も心も重くなっていき、常に悲しいし、食欲もないし、鬱に片足を突っ込んだような状態で日々を過ごしました。私は大体そういう時、睡眠に逃げます。夢の中の空間はいつも時間・身体の制限から解放された自由な空間だからです。毎日寝ることだけ楽しみにしていました。今考えるとやばい。でも不思議な話ですが、今までにも夢で経験したこと・見た風景のおかげでなんとか起死回生ってことが結構あるんです。この頃は、美しい風景をみて「私はこういう風景を見るために生きているんだ」って感動して泣きじゃくる夢をよく見ていました。それで起きた後に、そうだよな、大事なこと忘れてたな、小規模でもとりあえず手動かしてみるか…というきっかけがあってなんとか今回の展示の制作が進んでいきました。

②再び行き詰まり

刺繍のような規模の手仕事から始めて、粘土をこねられる所まで動けるようになったものの、作品を作るというよりリハビリ感が否めない。体が動くようになっても心が全然ついてきていない感じがして、展示で何をしたいのか自分で分からずブレブレでした。展示のために無理やり作品を作っているようで、そしてそんな展示を見て、友人たち、恩師、お客さんは何を思うんだろうと思うと不安で仕方ありませんでした。

③出会い

同じく家に引き篭もっていた母の誘いで、世田谷美術館で開催している  塔本シスコ展を見に行った時の話です。

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塔本シスコさんは50歳くらいから独学で絵を描き始めた方で、92歳で亡くなるまで膨大な量の絵画を製作しました。キャンバスに描かれているのはシスコさんの小さい頃の記憶、家族と思い出、家にいる猫や花、自然の風景など彼女の身の回りの出来事。物凄く大きなキャンパスに描かれた作品も数多くあり、まるで壮大な絵日記です。まず作品量とその大きさに圧倒されるのですが、画面上の本当に豊かな色彩からシスコさんの家族、友人、地域、自然に対する丁寧で優しくてチャーミングな視線がダイレクトに伝わってきます。思い出しながら泣けてきた… タイトルの通り、彼女のパラダイスなんです。もうとにかく衝撃でした。「こんな絵って描けるんだ、こんなにも作品で人の心って動かせるのか、幸せって作品を通して他の人に与えられるんだ…」 心の中が大洪水。ありがとうシスコさん、世田谷美術館、そして誘ってくれた母。見た後はしばらく放心状態でした。(余談ですが、この日美術館でめちゃめちゃにお腹が痛くなりすーごい下痢しました。あれはきっと浄化だったのだと思います)                     

家に帰って冷静になって、ああ私って自分の作品が人にどう見られるかということばっかり考えて、自分が何をやりたいか何を信じているのか全部無視していたなあと気がつきました。塔本シスコさんの展示が、本来の自分の作品を取り戻すきっかけになりました。

④〆切迫る・vs詰めの甘さ

あの日から、私は自分の制作を楽しいと思えるようになりました。あれこれやりたいことが一気に増えました。また作品の成果とは別に、個展に会いにきてくれる私の大切な人たちとの再会が何よりも楽しみでした。作業しているアトリエから家まで帰る時は、外の冷たい空気に混じった色んな匂いを味わい変化していく空の色を見ながら帰りました。               

後は時間との戦い。一体私はいつになったら余裕を持って行動できるようになるんだろ〜…。でも今まででは一番詰めの甘さを撲滅しようという意識はあったと思います。(結果やはり最後の最後にボロが出てしまいましたが。)

そして始まる個展

始まりました、個展。設営終えて明日本番!って時に一部の作品が設置台から落ちたり、印刷物が間に合わなかったり、例の如くドタバタのスタートでしたができることはやったと思います。 

以下、今回の展示の挨拶文です。

あらゆる風景はあまりにもたくさんの層が折り重なって作られているもので、しばしば「A はA でもあるし、A でもない」ということがあり得るのだと最近になってやっと身をもって実感しています。またその風景の様相は主観の気分次第で姿を変えているということも学びました。それは孤独なことですが、だからこそその風景の中には確かなものがある、と確信しています。おばけが本当にいるかどうかはわからないが、いると信じている人の心の中には確実に存在している、というようなことです。今回の展示は、その気付きを元にコロナ禍で鬱屈した風景からなんとか這い出そうと手を動かしたプロセスの結果です。手を動かすことによって、自分の核となる部分が少しづつ見えてきて本来の私の風景を獲得できたように思います。今は、ワクワクしています。ゴッホのように、世界を目前にして常に熱狂していたいと心から思っています。                                                                                Some scenes that I see are made from overlapped enormous layer and how they look is quite depends on subjective view. And Sometimes it happens : A is A, and also not A. this fact makes me feel lonely, but I believe there is something true and sure that makes me stand up in those scenes. It’ s almost same as it is not sure that ghosts really exists generally, but they really exist in someone’ s mind who believe ghosts are real. For this exhibition, I made my works with that idea described above to make an escape from the world that is stuck because of the pandemic. And now I feel joy and excited for the scenes I see.                  ‘’ I want to be out of control, I need to be in a fever state.’’ As Van Gogh said.

「永遠の門 ゴッホの見た未来」という主演のウィレム・デフォーがゴッホに似すぎている映画がとっても好きなのですが、その中に       

「落ち着いてなんかいられないよ、常に熱狂していたいんだ」      

というゴッホのセリフがあります。このセリフの精神を生涯を覚えていたいと思い挨拶の中にも差し込みました。

在学中は、人間の根底にある共通した意識・神話などの考え方を基に自然と人間の関係について考えながら作品を制作していましたが、今回はそれよりももっと個人的な「個人の存在とその世界のつながり」がテーマとなりました。個展という自由な環境であったし、やはり制作の上で新型コロナウイルスの脅威は無視できないもので、自分の存在そのものが大きく揺らいだ出来事だったからです。

展示が始まって5日が経ちました。毎日色んな人が展示を訪れて色んな感想を残してくれます。自分の作品が他の人の心に何かしらの風を吹かせていると実感できる出来事がたくさんあり、とにかく胸がいっぱいです。会期はあと6日あるのですが、その間に何が起きるのか楽しみです。次は、展示中の人との出会い、作品を売ることについて考えて書きたいと思います。


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