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雨水

 ずっと庭の雨を見ていた。

 私は雨になりたい。潸潸と降る冬の雨に。空から落ちて、地に染みて、そして海へと流れて、また空に帰っていく。そのいづれも自分の居場所であり、居場所ではない連環の渦に身を任せたいのだ。地面に落ち、石を穿ち、アスファルトを染める雨音を聞いているとそう思う。

 人生という循環しない仕組みの中で身も心もぐずぐずと老いて朽ちていく重みを考えれば、なおさらだ。でも、以前は循環すると考えていた。その頃の私はいっぱしに生きてやろうともっていて、いろいろと頑張ってみたのだが、それで分かったのは、知らなくていいことと後悔しかこの世にはないということだった。それからというもの、私は家から必要以上に外に出ることを止めた。

 この家は、昨年他界した祖母のもので、今は私しか住んでいない。私はこの家が好きだ。祖母の遺した家具や、少し立て付けの悪い襖、穴の開いた障子も、時代を感じる柱も、もちろん鈍い艶を誇る縁側も。それらすべて包むように、雨の音は家の奥にまで響いた。それが、流れ落ち、留まってはまた流れる。その静と動には、本来冷たい雨になぜだか熱量を感じさせた。

 この音だけでいい。テレビをつけたところで、どこもかしこも新種のウィルスがどうだとか、命の危険がどうだということしか言ってない。台風が来たら食べ物がなくなって、ウィルスがはやると今度はマスクがなくなる。買いだめした家には渦高く積まれたマスクや食料があるのだろう。これだけで自分は安心だと思うのだろう。結局騒動が落ち着いたら余って、捨ててしまうのに。無駄にしてしまうのに。

 まったく循環していない。無駄なものは、水になって流れてしまえばいい。今すぐにでも大量のマスクだった水が家から流れ出れば……まとめ買いしたカップ麺が一瞬で水に変わってしまえばよいのに。私が無駄だと思うものから、雨と一緒に流れてしまえばいいのに。すべてが雨になってしまえばいいのに。

 いつの間にか引き寄せられるように縁側に立って雨を見ていた。床に触れた素足はもう冷たさを感じないようになっていた。目を開けて雨の形を思う。目をつぶって雨音の輪郭をひろう。そして、すーっと息を吸う――やがて、雨は上がった。


  雨が上がると周囲にはいろいろな音であふれてくる。彼女が嫌いだった朝夕の子供たちのはしゃぎ声やしきりに通る車の音。それから鳥の声も、風の音も。ただ、この家だけはずっと静かだった。時が止まったように静寂を保っていた。家具も、少し立て付けの悪い襖も、穴の開いた障子も、時代を感じる柱も。ただ、一部分だけ艶を失ってぐっしょりと濡れた縁側から垂れる水滴の音だけがかすかに聞こえるだけだった。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')