見るものすべてが嫌な記憶をよびさます

  何を見ても何かを思い出す。

 昨日今日と調子が悪く、だいぶきつかった。たまにあるのだけれど、胸が締め付けられるような、詰まるような苦しさが仕事中に出て大変だった。これが出ると同時にこめかみも痛くなる。というかこめかみから胸にかけてしびれるような痛みがでる。

 きのうの朝は起き上がるのに時間がかかったのでお弁当もつくれなかった。今日はなんとかお米を炊いて、簡単なお弁当が作れた。それ以外はご飯も作る気が起きなくて、トレーニングも気分が乗らないのでちょっとお休みにした。むしゃくしゃしたので酒を飲んで好きなものを食べてみたけれど、お酒は美味しくなかったし、特に気分は晴れなかった。

 体調が崩れると考え方も悲観的になってくる。今の自分がみじめに見えたり、ふいに何かを見て思い出すことは、悲しかったり嫌だったりした記憶ばかりだ。

 ふいにゲームの動画を見ていたら子供の頃のことを思い出した。僕にも少なからず友達はいたけけれど、その友達は時がたつにつれてだんだんと僕から離れていった。やっているゲームや遊びは同じなのに、友達は自分とは違う人と遊ぶようになっていった。

 あぁ、自分といてもつまらないんだろうなとずっとおもっていた。友人が遊ぶ相手は、もっとゲームが上手かったり、スポーツができたり、面白い奴だった。考えてみたら、そういう人に勝っているようなものが自分には一つもなかった。

 このような考え方は今でも続いていて、この手のエピソードは学生時代はずっと経験してきた。そんなことがあったからか社会に出た自分は人の顔色をうかがう人間になっていた。いや、子供のころからそうだったのかもしれない。いさかいが絶えない両親の顔色をずっとうかがっていたから。

 誰かと会っても別れると、つまらなかったのだろうなとか、会っている間負担をかけていたのだろうなとずっと考えるようになってしまっていた。

 回復期の今、意図的に以前の自分と違ったふるまい、というか自分が思ったことや感じたこと、その時したいことに嘘をつかないことで、結局どうなったかというと、何も変わらなかった。僕は嫌われ者のまま。憎しみと怒りが満ちて、それにつかれると哀しみがでてきてまた憎しみと怒りが満ちての繰り返し。

 自分に魅力がないことはわかっている。わかっているけれど認めることは難しい。なんでこんなに惨めな思いをしなくてはいけないのだろう。早く消えてなくなりたい、ヤクをがぶ飲みしたら気持ちいいまま死ねるのだろうか。僕は、この世界が大嫌いだ。心底呪っている。

チョコ棒を買うのに使わせてもらいます('ω')