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信じたい人の言葉を信じる

お久しぶりです。
毎日投稿と謳いながら2日に1回くらいのペースで投稿してた頃が懐かしい。

2021年がスタートし、最初の月はもう終わってしまいました。はや!
昨年の12月に25歳になりましたが、相も変わらず片田舎で実家暮らしの日々です。

そんな実家暮らしの中で、最近の楽しみは母親と鬼滅の刃のアニメをみることです。
自分自身は1年以上前にアニメは全部見たけど、この1年でさらに鬼滅ブームが加速したことを受けて、
私以外アニメや漫画に全く興味のない我が家では珍しく、母親が「みてみたい」と言ったので、
今休みの日にちょっとずつ見ている次第です。

母親は難しいストーリーとかは理解できないし、伏線とかまったく気づけません。
なので全部解説しながら一緒に見ています。
わたしはネタバレはもちろん設定とかを解説されながらみるのもわりと嫌ですが(あとで自分で調べてじわじわ余韻を感じたい)(中学生のとき20世紀少年のトモダチの正体バラされたことを今も恨んでいる)、
母親は物語の先が読めないと落ち着かなくなるタイプなので、
それなりに楽しんでくれているようで嬉しいです。

そうやって解説しながら見ていると、今まであまり気に留めていなかったセリフや演出に感じ入ることがあります。
例えば我妻善逸のセリフ。
といっても一言一句確かに覚えているわけじゃないのであれですが、「俺は信じたい人の言葉を信じる(だから騙されることもある)」みたいなのありましたよね。(ありましたよね?)
それって強さにもつながるし、実は生きていく上でめっちゃ大事なことなのでは!?思います。

世の中は言葉で溢れてます。
個人が自由に情報を発信できるし、その膨大な情報の中には人の心を打つような、有用っぽい教訓や助言がたくさんあります。
それらに自由に触れられることは素敵なことです。ありがたい。
でも全部間に受けて、全部の教訓・助言を自分の中にインプットするのはよくない。
教訓や助言は、その発言者のルーツや思考の軌跡を以って生まれたものであって、
そこに共感して「この人の言葉を聞きたい」と実感してこそ、受け入れるべきだと思います。

意欲的な人ほど何でもかんでもやってみたくなるけど、その方法が一つ筋の通ったものでなければ、得られることは少ない気がします。
わたしは高校生のとき、大学受験のための勉強でこれを強く感じたのを覚えてます。
周りのペースを気にしないように、自分が納得できるまで次のステップに進まないようにしてました。

要所要所でテコ入れは必要だけど、一つやり方を決めたらちゃんと完遂する。
そういう意味でも「信じたい人の言葉を信じる」って大事だなって思います。

まあただ難しいのは、善逸の場合のようにそれで騙されるときですよね。
信じたい人を信じたいと思う理由が自分の中ではっきりしていれば、「騙された」と思わなくて済む気がするし、騙される前に手を打てそうですよね。
どうなんでしょう。

わたしも、信じたい人の言葉を信じ抜くことで強くなりたいです。
そのためにもまず自分が信じたいと思う人、「この人から学びたい」と思う人を見つけられるようになりたいですね。


また毎日投稿はじめます。

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