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刑法130条と生権力

自由流襟座或

 2021年1月末、8・3行動に関する公判が行われた。この公判にかかる名古屋地方検察庁検察官、鴫谷検事による起訴状および公判中の野呂検事とのやりとりは、日本執政下において法がどのように運用されているかを示しており、興味深い。本論では、ここから見えてくる、現在の日本列島上の政治の実態について論評してみたい。
 まず、起訴状の内容を示そう。

公 訴 事 実
被告人両名は,××××と共謀の上,正当な理由がないのに,令和2年8月3日午後4時40分頃,株式会社第一ビルディング名古屋支店長××××が看守する名古屋市中村区那古野1丁目47番1号名古屋国際センタービルに,同ビル1階西側正面出入口から侵入したものである。
罪名及び罰条
建造物侵入     刑法第130条前段,第60条

  この文章は、刑法第130条前段を忠実になぞって、今回の件に適用したものだ(共犯の条文として第60条を加えている)。刑法第130条前段は以下である。

正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し(中略)た者は、三年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。

  自称・室伏良平氏も「よく出来た作文」(注1)と評したように、この公訴事実は、余計な情報をそぎ落として簡潔にまとめられており、たいへん明瞭な文章である。価値判断を排し、法に関わる事実のみを記述したという点で、制定法主義を採用する「法治国家」日本らしい起訴状ともいえる。
 だが、今回の公訴事実を厳密に適用すると、自宅以外のあらゆる建造物に立ち入ったすべての者がこれに当てはまることになる。ここには、「ビラを撒いた」という具体的な行為への記述がないからである(注2)。ゆえに、ちょっとした買い物であれ、観光であれ、通行であれ、自分の「看守」していないあらゆる建造物への「侵入」に適用可能である。それらは「正当な理由」である、という主観的な理由は通用しない。自称・室伏氏にとって、主観的には、ビラ撒きには「正当な理由」があった。結局のところ、理由の正当性の判断の主体は、行為者自身ではなく、建造物の看守者もしくはその看守者の判断を左右する社会的諸関係にある。つまり、今回の件が判例となった暁には、ビルに立ち入る者が厳密に合法性を求めるならば、立ち入るたびに建造物の看守者に立ち入り理由を述べ、その正当性の判断を仰がなければならないことになる。実際、我々自称・救援会は裁判傍聴時には裁判所に電話をかけ、立ち入りの理由を述べ、許可を求めている。そうでなければ誰もが逮捕されうるのである。今後、ビル内に立ち入る諸氏が仮に逮捕、勾留されないとしても、単に結果論的なものに過ぎない。
  こうしてみると、現行の法体系における刑法第130条の厳密な運用のみで、日本執政下の往来の大部分が無数の「看守」によって支配されるという監獄的状況が出現してしまう(注3)。そのような「看守」のまなざしを忖度することによってはじめて、今、我々が目にしている往来が出現する。そのような忖度がなければ、我々は街に出るだけでも、身柄拘束の可能性におびえ、「看守」にお伺いを立て、そうでなければ常に判例の確認をつづけなければならないだろう(日本の法運用は判例至上主義でもある)。にもかかわらず、ほとんどの人々がそこまでの脅威も必要性も感じていないのは、ひとえに皆がそうした「まなざし」の意図を、無意識的あるいは半ば意識的に忖度しているからにすぎない。忖度というのは、要するに他者の「まなざし」の内面化であり、別に霞が関だけでなく、いたるところに遍在する。実際、それなくして近代社会は成立しないといえるほどに、近代人が身に付けなければならない規律の一環である。
 こうした社会の監獄化の問題は、M・フーコーが『監視と処罰――監獄の誕生』で論じたことで知られている。フーコーによれば、統治技術の合理化が監視社会を生み、近代的な理性はこの技術に仕えてきたとされる。法思想もそうした理性の一つである。法思想と統治術の結合の典型的な事例として紹介されるのが、法実証主義の元祖ジェレミ・ベンサムが構想した「パノプティコン(一望監視施設)」であった。人々は監視の「まなざし」を内面化して規律を身に付ける。このような統治技術の合理化によって、フーコーは、古い権力が殺す権力であったのに対し、近代以降、人々の「生」を管理し制御することで統治をおこなう「生権力」へと転換したと主張する。先の起訴状も法実証主義に近いスタンスを取っており、そこからフーコーの主張が想起されるのも必然なのかもしれない。それは法から道徳的規範や信仰やイデオロギーを区別する、近代的法思想の帰結なのである。

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  しかし、それでも、フーコーの議論には大きな欠点がある。
  まず、「まなざし」を統治技術として抽象化することで、「まなざし」の背後にある具体的な意思をかえって隠蔽することになる。刑法130条という言葉のうちに入り込むと、人々は皆、「まなざし」の前に等しく首を垂れる子羊である。しかし、実際には刑法130条は字義通りには適用されてはいない。刑法130条を運用する意思は、その条文を通じた強制力の発動をフィルタリングしている。8・3行動は、まさにこのフィルタリングを可視化する行動であった。生権力の背後にある具体的な権力を衆目に引きずり出そうとする行動であるがゆえに、単なるビラ撒きにも関わらず、自称・室伏氏とその共犯者は約3週間も接見禁止で勾留され、そのうちの自称・室伏氏を含む二名が正式に起訴されることになったのである。法実証主義的な公訴事実に反し、公判において野呂検事はビラ撒きが「アメリカ合衆国へ抗議する目的」であったと認めている。さらに、野呂検事が示したビル管理者の証言では、そのビルの「利用者」の「安全」と「平穏」が、ビル内にある「アメリカ領事館に対し、原爆の写真のついたビラを配ること」によって破られたのだと述べられている。8・3行動によって「安全」と「平穏」が破られ、平時とは異なる「例外状態」となったと認識したのは、「生」を保守しようとする子羊でもなければ、子羊たちが内面化した抽象的な「まなざし」でもない。建造物の看守者の判断は、明らかに「アメリカ領事館」という具体的な「まなざし」への忖度によっているのである。権力は抽象的な形式ではなく、常に具体的運用のなかで存在者として現れる。「例外状態」について決定を下すもの、それこそが主権者である。主権者の意思は、抽象的な権力=真理ではないという点で、イデオロギーと呼ぶのがふさわしい――すべてはイデオロギーたらざるをえないという前提の上でのことであるが。
  要するに主権者の「まなざし」は、抽象的な統治技術に尽きるものではないということである。たとえそれが「生」や「安全」を肥しにしていたとしても、「生」や「安全」それ自体が権力なのではない。「生」や「安全」は、常に「死」と「危険」に対置されており、そうである以上、近代であれ、常に権力は生殺与奪である。我々が問うているのは、「生」を提供し、「生」の支持を受けていると称し、実質的には「生」を消費し、「生」を支配している具体的な権力は何者か、ということに他ならない。フーコーの生権力批判も、ドゥルーズ&ガタリの戦争機械も、ハーバーマスの対話的理性も、西田幾多郎の世界的自覚も、このことを問わない限り、いずれも我々が見据えようとしている権力の走狗とならざるをえないのではないか。
  問題は、「生」の世界を超越し、「生」を管理しようとする主権者の捕捉である。主権者は言葉だけでは直接的には捕まえることができない。なぜなら、言葉はメディアや記号として消費され、主権者の物理的現実を覆い隠してしまうからである。芸術や哲学の限界はここにある。超越とは、まさに言葉の限界のむこうに立ち上がる物自体に他ならない。たとえ、それが結局は言葉によって表現されざるをえないとしても、それでもやはりそれはある。

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  二つ目の欠点は、晩年のフーコーが、政治権力への抵抗の拠点として自己陶冶(自己変容・自己統御)の技術を持ち出すことにある(注4)。この技法をフーコーは「霊性」の実践と呼び、具体的には、瞑想・身体鍛錬・快楽の活用などを挙げる。晩年のフーコーが生きた一九八〇年代には、そうした自己陶冶術に期待が持てたのかもしれない――フーコー主義者は、フーコーの死後に起こったオウム真理教の起こした諸々の事件について、直視する必要があるだろう。しかし現在、性産業はますます多様化し、大企業の社員研修でマインドフルネス瞑想法がリラクゼーションとして採用されていることを見れば、自己陶冶術は生権力に対抗しうるものどころか、むしろそのなかに取り込まれ、一つの慰安の技術にしかなっていないことにも目を背けてはならない。
  ここにもフーコーが「自己」を抽象的にしかとらえていないことによる問題がある。自己を抽象化することこそが、生権力の条件だと言ってもよい。抽象的自己は抽象的生にしか対峙しえず、それは結局、対峙しえずに抽象的な生権力と同一化するしかない。生権力の背後のイデオロギーを引きずり出すためには、それに対峙する者自身の依って立つイデオロギーも示されなければならない。8・3行動が「警告」だったのか、「抗議」だったのかは、ひとまず措く(この行動に込められたトリッキーな意図については大野左紀子氏の評論を参考にしてほしい)。いずれにせよ、あの8・3行動によって、1945年に「終わった」とされるあの戦争が、戦後史の水面下を潜り抜けて再浮上していることは確かである。あの世界大戦こそ、思想と軍事が一体化し、すべての「生」と「死」を動員して繰り広げられた総力戦の、グローバルな全面化であった。そしてそれこそが、現代を画する始まりだった。
  戦後日本は、あのときに到達した総力戦の地平に蓋をして、もう一度、「近代」をやり直そうとしてきた。だが、歴史的現実は不可逆である。到達した現代は、上辺だけの「近代化」とともに水面下で侵攻し、いたるところでその矛盾を吹き上げている。戦後的「生」の現実は、依然として日米安保イデオロギーへの「生」の動員である。一方、それを可視化し、1945年を継続しようとする枢軸国のイデオロギーは、安保的生権力を突破し、死すべき「死」へと自他を動員する。それこそが1945年に本土決戦とともに忘却され、1968年前後の闘争において構造的に立ち現れ、そして現在のコロナ情勢下の生権力の徹底の最中に逆説的に垣間見ているものである。
  生権力に抗し、戦後的「生」のイデオロギーを暴露するには、フーコーの提唱する自己陶冶術のみでは不十分であろう。自己はイデオロギー的に具体化されなければならない。ゆえに、安保的主権者が姿を現し、枢軸国のイデオロギーを弾圧したとき、すべきことは抽象的な「人権」でもって弾圧に抗することでも、イデオロギーを捨てて「欲望」を謳歌することでもない。それらはいずれも安保的主権者の提供する「生」のイデオロギーの範疇にある。この「生」のイデオロギーに開戦を宣言するために評議会は招集され、(わ)第1号の評決が下されたのである。

(注1)『結束』2680年12月10日夕刊
(注2)ビラを撒いたということを公訴事実から外した事情については、『結束』2680年12月10日夕刊で考察がある。
(注3)刑法130条の「看守」について、無数の往来のある駅建物であっても「看守」を肯定してよいことが明らかにされている(齊藤彰子「刑法130条の「看守」について」『名古屋大学法政論集』250号、2013年)。
(注4)ミシェル・フーコー『主体の解釈学(コレージュ・ド・フランス講義1981―1982年度)』筑摩書房、2004年、294頁。

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