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映画のような鏡

先日、「ナミビアの砂漠」という映画を観た。
それが表向きは何てことのない、しかし私にとっては中々ハードな挑戦だ。

世界観や登場人物に怠惰な雰囲気のある作品が苦手だ。
普段は小説をよく読むのだが、その手のものを読んだ後は気持ちが重くなって、さらさらさらさら、緩くて暗いまま思考が流れていく。
その感覚がどうしても苦手で、小説にしても映画にしても、そういった作品に対してセンサーを働かせて避けてきた。あくまで趣味や娯楽ですし。

「ナミビアの砂漠」は間違いなく“それ”だ。
そう分かっていても、どうしても映画を観たかった。
映画館は文庫本よりも怖いだろう。あの怠惰な空気が満ちた箱から逃げられないだろう。

観たいという気持ちと、苦手なジャンルに向き合うことで私の何かを壊したいという思い。
ただ映画を観に行くのとは異なるイベントにしてしまった。

座席に落ち着いてからずっと、私はバッグを抱いていた。意識的に飲み物を手に取って、たまにゆっくり呼吸をした。一度だけ、スマートフォンで時間を確認した。

それでも、緩くて暗い奴はやって来た。
左右に人がいないのをいいことに上半身が左に傾いだ状態で一休みしたり、私の他に3人しかいない客の気配に意識を向けたりして、137分座っていた。

箱に明かりが戻ると、さっさと立ち上がった三名の観客に親近感を抱いた。ハードな作品を共に観たのだという達成感があった。

映画館を出てからは、ふわふわした状態でカフェに行き、便箋に作品の感想を書くのがお決まりだ。その間に気持ちを落ち着けるのだ。

映画はよく分からなかったし、いつもより感想を書くのに手こずったが、何かを得て、私の中の何かが溶けた気がした。
緩くて暗いものを怖がることそのものが、少し輪郭を濃くした。

自分の中にある形のないものに向き合うのは怖い。
それと同じような濃度の映画や小説、例えば展開に依存しないような作品は、向き合うことで観客や読者の鏡になるのかもしれない。

#挑戦してよかった

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