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第33週:シュラフ・レハ(送れ)

基本情報

パラシャ期間:2023年6月4日~ 6月10日
 
通読箇所
トーラー(モーセ五書) 民数記 13:1 ~ 15:41
ハフタラ(預言書) ヨシュア 2:1 ~ 2:24
新約聖書 ヘブルびとへの手紙 3:7 ~ 4:13
(メシアニック・ジューが合わせてよく読む新約の箇所) 

10人の族長かヨシュアとカレブ、どちらになるか―
ヨセフ・シュラム 

ヨセフ・シュラム
(ネティブヤ エルサレム)

12人の偵察者=指導者

今週のパラシャでは、モーセが各部族の指導者たちを派遣して、アブラハムに約束された永遠の相続地を巡り調べるという、神の命令から始まっている。 

人々を遣わして、わたしがイスラエルの子らに与えようとしているカナンの地を偵察させよ。

民数記 13: 2A

「偵察する」と訳されているのはヘブル語で「トゥル(tur)」で、神は土地を巡って吟味し、土地を縦断・横断して偵察するために各部族の主要メンバーを「派遣せよ(シュラフ=パラシャの名前)」と言われた。

  • 縦断

  • 横断

  • 巡回・歩き回る

  • つぶさに見聞き=偵察する

これらすべてが、このヘブライ語の動詞「トゥル」の意味だ。 

さてそんな「トゥル」のために神は、モーセに対してどのような人材を選ぶべきかを告げている。それは、各部族の指導者・族長たちだった。したがって12部族から12人の族長が派遣されることとなった。
遣わされた人々は各部族の指導者ということもあり、イスラエル民族の中でも知られ、尊敬を集めている人たちだった。したがってモーセは彼ら1人1人の名前を書いている。聖霊は聖書の中に彼らの名前を書き残すことを、決められたのだ。
4~15節にわたって、ヤコブ(イスラエル)の長男ルベン族から、代表のリストになっている。その中にはもちろん、ヌンの子ヨシュア(エフライム族)とエフンネの子カレブ(ユダ族)がいる。彼らもイスラエルを束ねる、12人の指導者の中の2人だった。 

モーセとアロン

ここで重要なのは、モーセは自ら行きたいと志願した人を選んだのではない、という点だ。部族の族長として最も才能・賜物を持つ、最高の人々を選び送り込んだ。この部族のかしら、言うなればオールスターを送り込んだという事実は、この物語をはるかに重要なキーとなるストーリーにしている。彼らは約束の地に潜入し、土地を様々な角度から調べ、巡回・偵察し、その報告を持ち帰ることになっている。 

18~20節には、彼らのすべきこと、持ち帰るべき情報とものについてのリストが明確にされている。それを読むと日本文化で言うならば忍び、まさに戦争に備えた敵国に対する戦略的調査だ。戦うためには自分の敵を知り、敵がどれだけの力を持っているか、どれほどの規模の軍勢がいるのか、そして数だけではなく質となるどんな訓練を受けているかを知らなければならない。そして占領した後の農業についても念頭に、土地の様子と実際に土地に実る収穫物を取ってくるよう、命じている。
これは神ではなく、モーセの言葉になっている。彼は幼少から青年期に掛けてエジプト王宮で、ファラオの王子/養子として『帝王学』を学んだと思われ、その片鱗が見える。奴隷やその子供として育っていれば、出てこない発想だ。
 

カナンの地を見た12人―

12人の偵察者たちをモチーフにした、
イスラエル郵便局の切手。

そして12人は立ち上がって、偵察へと出て行った。ツィンの荒野を横断して北へ、今日のレバノンにあるレボ・ハマテまで土地を巡回して行き、その土地を調べた。その途中では主要都市のひとつ、ヘブロンにも立ち寄っている。アブラハムがサラと自分自身を埋葬した、マカペラの墓(洞窟)を買った場所だ。イサクもリベカもそこに埋葬され、その後はヤコブやレアもそこに葬られた。アブラハムがヘテ人エフロンから買ったマカペラの洞窟だ。彼らはそこで、ヘブロンにいる巨人(アナク)の子孫であるアヒマン、シェシャイ、タルマイに会う。そして、彼らはこの都市がエジプトのツォアンの町ができる七年前に建てられたという情報も与えている(13:22)。

彼らは農地を見、2人がかりでなければ運べないような、巨大なぶどうの房を発見した。ちなみにこの巨大なブドウのふさを二人が担いでいる姿は、現在イスラエル観光省のシンボルになっている。

イスラエル観光省のロゴ

そして40日後、彼らはモーセのもとに戻ってきた。
過去にも7という数字について紹介したが、聖書の中の40という数字は類型的であり、同時に予型論的とも言える。イスラエルの子らは荒野で40年間を過ごし、これは荒野で40年間試されたとも言える。そしてこのパラシャの40日間も、イスラエルびとに与えられた試験・テストだったとも言え、イェシュア(イエス)はユダの荒野で40日40夜、悪魔によって試されている。 

したがって彼ら12人が40日間行き巡った、日数は偶然ではない。トーラーは、モーセがこの部族の族長の12人を遣わしたというこの使命は、試練であったとこのパラシャで明かしている。御自身で約束されたその地を、神が知らないはずはない。したがってこれは土地を調べる・テストためではなく、この土地を相続する器かどうかのイスラエル(のリーダーシップ)に対するテストであった。

40日間のレポート提出

彼らは、カデシュ・バルネアに宿営するモーセとアロンの所に帰って来た。そこはベエルシバから西へ歩いて、数日の場所にある。そして彼らは自分の受けた印象や土地の様子に関する、レポートを携えて来た。 

私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。
そこには確かに乳と蜜が流れています。
そして、これがそこの果物です。

民数記 13:27 

さてここに登場する「乳と蜜の流れる地」という表現は、トーラーに何度か登場するよく知られた表現だ。この乳と蜜が何を指しているのか― 牛の乳か山羊または羊の乳なのかや、蜜とはナツメヤシの蜜(ヘブライ語とアラビア語で「シラン」)なのか、私たちやよく知る蜂蜜なのか― それらに対しては、様々な議論がある。
 
 
そして28節からが、このパラシャの核心となっていく。約束の地に現在住む民は強く、しかも非常に大きく堅固な要塞都市に定住している。そして彼らがそこで見たのは、巨人の子孫だった。またイスラエルの永遠の敵であるアマレク人がネゲブ砂漠に定住しており、ヘテ人とエブス人が、中央の山脈の山の中にいる。カナン人はヨルダン渓谷と海岸に位置している。
カナンの地は、様々な民族が群雄割拠している複雑な状況、現状は芳しくなかった。
 
そこに、カレブが飛び込んでき、「静かにしなさい」と言ったのだ(30節)。 

そのとき、カレブがモーセの前で、民を静めて言った。
「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」

民数記 13: 30

カレブは、実行可能だと言った。私たちイスラエル人は、長年私たちの父も祖父も曾祖父もエジプトで奴隷だったが、私たちは今自由人だ。だから、私たちは行って土地を奪うことができる― 

しかし他のリーダーたちはカレブに反論し、イスラエル全体に彼らの考える情報を伝え、モーセとアロンの前で不平を言った。「エジプトで死んだほうが、ましだった」と。こうして彼らは人々を落胆させ、信仰と希望、自信を人々から奪った。

なぜ主は、われわれをこの地に導いて来て、剣に倒れるようにされるのか。妻や子どもは、かすめ奪われてしまう。エジプトに帰るほうが、われわれにとって良くはないか。

民数記 14:3

これは非常に深刻な状況だ。彼らがエジプトを去ってから、もう何年も経っている。そして神がアブラハム、イサク、ヤコブにお与えになった地に、今まさに入ろうとしている。ところが、彼らはこう言っていた― 私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。なぜエジプトを去ったのか?― これは信仰の根幹にかかわる、大きな問題だ。

信仰=神の『実績』に信頼を置くこと

イスラエル初代首相ダビッド・ベン=グリオン
(economist.com より)

信仰とは、現実の状況と事実だけを見ることではない。信仰は自分自身の今の力ではなく、過去の実績や記録にも基づくものだ。
「過去からの灯りは、未来への道へ」
これがイスラエルの初代首相ベン=グリオンのモットーの1つだった。
そしてこの、過去から未来を照らすべき灯りを、10部族の族長たちは心のうちに持っていなかった。 

彼らがエジプトを後にし窮地に陥った時、目の前には海、そして後ろにはエジプト軍が迫っていた。理論的に、普通に考えたのならば、助かるチャンスはゼロだった。しかし、神が民を海の向こうに渡し、救われた。また、荒野には水がなかった。喉が渇いて干上がって死ぬところだった時、神が水を与えた。出エジプト記17章で神は岩を打てと言われ、モーセが岩を打つと岩から水が出た。アマレク人が攻撃して来た時、彼らに勝利し生き延びるチャンスはあったか? ここでも答えは、「No」だ。しかし、アロンとフルがモーセが挙げた手を支え続けて、神によって戦いに勝った。 

10人のリーダーたちは、これらすべての出来事=過去を考慮に入れていなかった。『神の実績』を無視し、彼らは現実のみを直視したため、彼らの信仰だけでなくイスラエル全体の信仰が毒されるのを許してしまった。
これが10人の斥候・リーダーたちの、大きな罪だ。カナンの地で見た現実が問題ではない。神とともいる自分たちをきちんと見ているか、その欠如が問題だった。それが彼らが犯した、大きな罪だった。

だからこそエジプトを去ったイスラエルびとのうち、カナンの地に入ったのは、ヨシュアとカレブのただ2人だけだった。モーセによって遣わされた12人のうち、信仰を持っていたのはこの2人だったからだ。そして、他の10人の話を聞きイスラエル民族がエジプトへ戻ることを希望した際、彼らは何をしたか? 死者を弔う習慣である服を引き裂き、イスラエルの子らにこう言った。 

7イスラエルの全会衆に向かって次のように言った。
「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。8もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。

民数記 14:7~8

大変だと言うこともできたし、そこの人々は大きくて巨人の息子だったと言うこともできただろう。要塞化された城壁のある町で、攻めにくい場所だと言うこともできた。それらはすべて真実だが、彼らは、「土地は良く、私たちはそれを取ることができる」という情報を言った。そしてここで重要なのが、条件となる―
主が私たちを喜んでおられるならば… だ。

その精神は 使徒ヤコブにも…

使徒ヤコブは西暦60年代前半、ユダヤ総督ポルキウス・フェストゥス
により迫害され、殉教したとされる。

これは私たちすべてにとっての、教訓だ。人生において私たちは、克服できない困難に多々直面する。そして、どうやってそこから抜け出せるかわからない。救いの手が来るのか、来るならばどこから来るのかも、わからない。そして私たちは言うだろう― いよいよ、あきらめる時が来た。私たちはあきらめている、私は手を挙げている、主よ、私にはそれをすることはできない。
 
しかしヨシュアとカレブは、神を知っていた。彼らは宗教的だっただけではなかった。イスラエルの族長たちはみな宗教的な人々だった。しかし宗教的ではあったが、信仰が足りなかったのだ。10人のスパイ・族長は、カナンの地の事実はよく知り、理解していた。
土地は美しく、果物、ぶどうがある。良い土地で、乳と蜜の流れる地だ。
 
しかし、その10人が持ち合わせていなかったのは、彼らの上司であり、私たちの上司そして地球全体の上司である、神に対する信頼だ。地は彼の足台であり、父でも創造主でもある。それを彼らは、知っていなかった。神がいなければ、カナンの地の現実・事実は絶望的なものだっだ。お先は真っ暗だ。
しかし、神を知っている人々、ヨシュアとカレブは、神が何を彼らにされたかという過去を見て覚え、正しい結論に達した― 私たちはそれをすることができる。神の助けがあれば、私たちは一人で戦うのではない。 

さて、ヤコブの言葉を見てみよう― 

あなたがたはむしろ、
「主のみこころであれば、私たちは生きて、このこと、あるいは、あのことをしよう」
と言うべきです。

ヤコブの手紙 4:15

この「主のみこころであれば」はアラブ語では「イン・シャッラー」、ヘブライ語では「イム・イルツェ・ハシェム=主・神(直訳=名)が望まれるのであれば」と言う。宗教的なユダヤ人やイスラム教徒のアラブ人と話せば、彼らは何か約束しする場合に「神の御心ならば/神が望まれるならば」という表現を付け加え、前提条件とする。
ヤコブはイスラエリー・中東人であり、この15節はその良い例だ。そして、私たちに対しても、「こう言うべきだ」と勧めの言葉を送っている。
 
ヨシュアとカレブはヤコブの手紙にも見られる、「神の御心があれば、私たちにはそれができる」と言った。そして彼らは、他の族長たちとは違い、実際にそれが成し遂げられる場に立つこととなった。神がエジプトそして荒野で何をされたのか(過去の実績)を見て、それを未来への道しるべとした。
神は不可能を可能にされる力があり、その枚挙にいとまがない『実績』の数々は、聖書と言う形で私たちの手の内にある。

他の10人の族長ではなく、ヨシュアとカレブになろう。
皆さまに素晴らしいシャバットがあるように。

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