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第5週:ハイェイ・サラ(サラの生涯)

(パラシャット・ハシャブアについてはこちらを)

基本情報

パラシャ期間:2022年11月3 ~11月19日
通読箇所
トーラー(モーセ五書) 創世記23:1 ~ 25:18
ハフタラ(預言書) 列王記第一1:1~ 31
新約聖書 マタイによる福音書 1:1~17、コリントびとへの手紙 第一 15:50~57
(メシアニック・ジューが合わせてよく読む新約の箇所)

ヨセフ・シュラム師と読む『ハイェイ・サラ』

アブラハムが信仰の父であるように、サラは信仰の母だ。二人とも間違いを犯したが主と共に歩み、信仰にもてなし、希望と粘り強さをもち、どんなことが起こっても諦めず生きる姿勢は、私たちの良きモデルである。
神がアブラハムに約束されたことのうちの、重要な二つがここに出てくる。

  1. 妻サラから生まれる子孫が与えられ、神の約束を成就する後継者となること。

  2. 約束の地を賜ること。

これらの約束の確認は、創世記だけでも20回以上登場する。

創世記15章の土地についての約束で、神はアブラハムが歩いた所は全て彼のものになる、と言われた。神がアブラハムにくださるという約束の地は、カナン人、アモン人、ペリジ人やエブス人、そしてヘテ人の地だ。 

アブラハムとヘテ人の『中東的』な交渉

エフロンから土地を買い取るアブラハム

サラが127歳で召された時、アブラハムは依然として一片の土地も所有していなかった。永遠の所有地であり神がくださった土地で、彼は未だに旅人、寄留者のままだった。一体どこに妻の遺体を埋葬すればいいのか。

サラはキリアテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。今日その地には実質、二つの町が隣接している。ひとつはユダヤ人の町で、もうひとつはパレスチナ人の町だ。彼らはイスラエルとヘブロンのユダヤ人に対して、敵意を持っている。

この当時そこはヘテ人の地で、ヘテ人とは今日のトルコ、アナトリアの中央山脈から来た人々のことである。その首都はハットウシャで、その山地の一番高い所にあった。その辺りが新約聖書の中で、小アジアと呼ばれている場所である。現在でも誘拐などが多く発生し、危険な場所だったりする。

さて、中東のビジネスは特異だ。アラブ人はとても器が大きく、中東全体がそうだ。現在のビジネス・取り引きでも、その片鱗は見られる。そして、ヘテ人もそうだった。そこでアブラハムを「主よ」と呼んで、敬意を表している。アブラハムは千人ほどの大きな集団で、町の中には住めなかったくらいに人数が多かったからそれも当然と言える。
そんなアブラハムとヘテ人との取引も、とても中東らしいやり方だった。中東には7~8民族が混在しており、互いに競争もあれば戦いもあり、一筋縄ではいかない。今でも買い物をする時は値切るのが当たり前の取引習慣で、たとえ10分の1に値切ったとしても利益が出ていたりもする。したがって、誰も値札の額で買う人はいない。観光客は入店するとコーヒーなどを出され、親しく話しかけられ、そこから店の品物を勧められ、「あなたと私の仲だ、特別にこの値段にするから」などと言われ、客は買わないと悪いような気にさせられる。そういう商売の仕方が、中東だ。しかし反面、本当に年季を積んだ信頼関係にある友人に対する忠実さと信頼の強さは、世界のどこにも見ないほど強く、絆を感じさせる。

このアブラハムの取引から学ぶことは、いくつかある。

  1.  アブラハムは取引に行く前から、自分の買いたい土地を決めていた。その土地が誰のもので、値段はどれくらいが相当かなどをよく調べ、焦点をしぼっていた。

  2. 自分の話す番がきた時、アブラハムは自身が欲しい土地の持ち主エフロンもいるところで、ヘテ人全体に対して話しかけた。その地を売るようにとエフロンに影響を与え、説得するのを手伝ってくれるよう、社会集団に訴えた。

  3. アブラハムは「あなたの言い値を支払います」と言った。先の説明通り、これは中東ではあり得ない、とても魅力的な申し出だった。しかし同時に、エフロンは同胞の手前法外な値段はつけられなかった。

  4. この取引は アブラハムとエフロンだけの間の事ではない。アブラハムが公共の場でこの取引をしたことにより、社会全体が証人となった。エフロンは「いいえ、主よ。差し上げますから、どうぞ使ってください」と言った。しかし、エフロンの言葉「ただで差し上げます」は、実はタダではない。

  5. アブラハムは、その土地を贈り物としては受け取らなかった。エフロンの言葉にお辞儀して敬意を表してから、きっぱりと「売ってください」と言った。対等な取引だということを、丁寧にだがはっきりと示した。今はタダでも後には高くつく。恩と借りができてしまえば、それがどこまでもついてまわる。そしてただでもらった土地は、結局アブラハムのものにはならず、いつ取り上げられるかわからない。自身の死後、不当な扱いを受けないように、社会全体を証人としその前で全額を支払い、合法的に購入したのだ。

このように、アブラハムは中東文化をよく知っていた。
そしてアブラハムの賢い振る舞いによって、その墓にはサラとアブラハム、イサクにヤコブ、レア、ヨセフとその子ども、と順々に埋葬されていき、その都度この墓が語り継がれていった。(創世記 49:29-32) 

もう1つここのアブラハムから学ぶべきことは、私たちは誰も始めた仕事をやり終えることはできない、という点だ。ラビはここから「与えられた仕事を完成する責任は、私たちにはない。ただし 日々完成するための努力をし続けなければならない」との言葉を残している。

ハガルとイシマエルの追放ー


もう1つ、このパラシャの大きなトピックがハガルとイシマエルの処遇についてだ。

なぜサラはこのふたりを追い出したか。サラはイシマエルが自身の子であるサクをからかっているのを見た(21:9)、とあるが実はこれは性的な表現 (le-tzahek)で、ヨセフがエジプトでポティファルの妻に冤罪で訴えられた際も、これと同じ表現が使われていた。サラはイシマエルが、イサクを性的に虐待し子孫を作れなくなることで、イサクがアブラハムの遺産と約束を受け継ぐことができないようになるのではないかと心配した。母親としてサラはイサクの男性としての発達を懸念し、イシマエル母子を出て行かせるようにアブラハムに訴えた。

しかしアブラハムの考えは 否、だった。アブラハムは非常に悩んだ(創世記21:11)。すると、神が介入された。

「アブラハム、悩んではならない。サラの言う通り、聞き入れなさい」

21章12節

結局、イサクは40歳まで独身だった。このような晩婚は中東ではとても珍しいことで、聖書的に考えてもかなり問題がある。サラが心配したように、イシマエルによる幼児期の体験がここに影を落としているのかも知れない。

恵みとまことは新約のアイデア?

その後、アブラハムに仕えていた老人のエリエゼルがイサクの妻を探しにハランまで旅をしているが、ここで彼は泉のほとりで、連れて来たらくだにも水を飲ませてくれる女性がいるかどうかの、ある種のテストを行った。その後エリエゼルはラバンと出会い、ラバンに対してこう言っている。

あなたがたが私の主人に、恵みとまこととを施してくださるのなら、私にそう言ってください。そうでなければ、そうでないと私に言ってください。それによって、私は右か左に向かうことになるでしょう。

創世記24: 49

ここで「恵みとまこと」と訳されているのは、『ヘセッド・ベ=エメット』というヘブライ語の表現で、詩編や箴言などの諸書で最低でも20回以上登場している。しかし聖書の中で最初にこの表現が出てくるのが、ここハイェイ・サラのパラシャなのだ。

これは非常に重要なポイントだ。なぜなら多くのクリスチャンは「恵とまこと」というコンセプトをイエス・新約聖書、特にヨハネによる福音書1章から始まったと考えているからだ。特に英語の欽定訳では旧約聖書の『ヘセッド・ベ=エメット』を別の表現で訳しており、恵とまことを旧約聖書から切り離すという意図もあったのではないか。

ヨハネ1:17には「律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである」とあるが、この表現を理論的に考えると恵とまこととはイエスよりもずっと前からあったものだという事が分かる。

そしてメシアであるイェシュアにおいて初めて、恵とまことがDNAのように埋め込まれた。彼は私たちの欠点や不完全な部分を全て満たし、その恵みをもって、私たちの人としての贖いに必要な全ての代価を払って下さったのだ。

イェシュアによる贖いは、これまた壮大なテーマなので、また機会があれば皆さまと分かち合いたい。

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