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第2週: ノア

(パラシャット・ハシャブアについてはこちらを)

基本情報

基本情報
2022年10月23~29日
通読箇所
トーラー(モーセ五書) 創世記6:9-11:32
ハフタラ(預言書) イザヤ54:1-55:5
新約聖書 ルカ17:20-27(メシアニック・ジューが合わせてよく読む新約の箇所)

創世記のストーリーのどこに、自身を見出すか?

ヨセフ・シュラム
(ネティブヤ、エルサレム)

先週から新しい通読サイクルが始まり、今週は二週目の安息日。先週読んだ創世記1:1~6:8は聖書全体で最も大切な基盤となる箇所だったが、今日読む箇所は二番目に大切な部分と言えるだろう。神とその被造物である人間との関係が衰退の一途を辿っていく。

このパラシャ(今週の通読箇所)では人間の性質についてもだが、それ以上に万物の創造主の性質について学ばさせられる。この人間の堕落の過程を、見方を変えてみると次のようにまとめられる。

  1. 神は天と地とを造られた。全て私たちが見たり、感じたり、食べたり、飾ったり、作ったりすることの基には、神がその最初の七日間になさったわざがあり、神は六日間で被造物を創造され、七日目に休まれた。

  2. アダムとエバは、善悪を知る木からとって食べるというただ1つのことだけが禁じられていた。しかしアダムとエバは創造主の権威を無視することを選択、神以外の声に従い唯一の禁止事項を行なってしまった。その結果、罪の影響はいまだに世界に対して影響を及ぼし、今日に至っている

  3. 聖書が語る二番目の事件は、人が自身の兄弟を「宗教的」理由で殺害する話である。

  4. 当時、人々は何百年も生きる長寿であった。地上は繁栄し、気候は完全で、雨も降らなかった。依然として人類は創造主を拒んで罪を犯し、修復不可能なところまで来てしまっていた。こうして神は人を造った事を悔やまれた。

  5. このような状況のただ一つの回復の望みは、「削除」または「リセット」のみ。しかし創造主は、全てを打ち壊してやり直すことは選ばず、人類の中からノアとその家族を選び保存する事に決められた。彼らから人類を再建し、神と人間との正しい関係を築こうとされた。

  6. よく知られている通り、洪水の後も地上において罪はなくならず、ノア自身や彼の息子たちも罪を犯した。洪水後も人間の性質、罪を犯す傾向は変わらなかった。人は創造主のご計画に対し、反抗し続けたのだ。

  7. その次の事象は、全ての人類が結束して創造主の権威に反抗する形での自立の主張である。そしてそれを力に頼って行使しようとした。

  8. 今週の箇所の終わりに目をやると、世界は哀しい状況下で修復不可能なまでに分断され、創造主の愛から遠く離れた。そこで再び、憐れみと恵みの故に主は一人の人を選ばれ、その人を通して創造主・被造物間の関係回復が達成されていくことになる。それが我らの父である、アブラハムである。

来週はそのアブラハムについて読み進めて行く。創造主が、どのようにこのメソポタミアから出てきた人を用い、全ての国々の祝福の基とされていくのかを学んでいく。

ところで上の8つの時系列を見て、自分はどこに当てはまるかを少し考えてみよう。もしも私がエデンの園にいたとしたら、私はいったい何をしていたのだろうか。 

私はおそらく蛇だろう。また同時に、メシアニック・ジューとして宗教迫害にあってきたという経験を考えると、私はカインによって殺された兄弟アベルでもあるだろう。

またノアの時代で考えると、箱舟を作る父ノアと共に大工仕事をする息子がぴったりだ。「なんてバカげてるんだ。いつになったってできるわけがないではないか」と毎日不平をこぼしながら、手伝っていたのではないか。バベルの塔の時代では、旗を掲げ人類団結を叫んだジョン・レノンのように人類の自由を叫び、天まで届くであろう塔の建設資金のために奔走していたことだろう。

そして、バベルの塔の失敗後は、夢も希望もない絶望のさなか、荷物をまとめて放浪の旅へ出ていたのでは、と想像する。現在のアメリカとも言える当時の超大国エジプトへの旅の途中、たくさんのラクダやロバ、そして軍隊を引き連れたキャラバンと遭遇する様子を、私は想像する。その出くわしたキャラバンは、おそらく富裕な老族長であるアブラハムとその妻で偉そうでうまずめのサラによって率いられており、エジプトの方に下る途中だと彼らは私に挨拶していたのかも知れない。
それを目にした私は多分、キャラバンを率いる責任者エリエゼルに話をし私も加えてくれないかと頼んでいたことだろう。
すると彼はわたしにこう言う―
「若者よ。偶像を礼拝しないと約束しなさい。そうすれば隊に加わってもよろしい」

さて、これらのストーリーに私たちが居たとしたら、皆さまはどのように振舞っていただろうか。それぞれに想像してみると、面白い。

さて今週の預言書も、素晴らしい神からの励ましの御言葉にあふれている。そのいくつかを引用してみよう。

子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもより多いからだ。」と主は仰せられる。
あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。
あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住むところとするからだ。
恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。
あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。
主は、あなたを、夫に捨てられた、心に悲しみのある女と呼んだが、若い時の妻をどうして見捨てられようか。」とあなたの神は仰せられる。
 

イザヤ書54:1-6

過去二千年のイスラエルの歴史を考えると、否が応でも何世紀にも渡ってユダヤ人が苦しんだ記憶がよみがえってくる。
スペイン、ポルトガルでの異端審問による迫害などから、ヨーロッパ中の広場でユダヤ人は拷問を受け、最悪の場合生きたままで焼かれていった。ユダヤ人大量虐殺は、英国のヨークやフランス・リヨンでも起こった。ユダヤ人に対する追放と排斥は東欧ではポグロム、そしてナチス・ドイツではホロコーストという結果を招いた。

それらを考えながらイザヤ書を読むと、この預言者の言葉が約2800年前に書かれていたことに驚きを感じ得ない。そしてこの御言葉は私の魂への、最強の薬にもなる。そして、全て神を畏れるイェシュア・メシアの弟子たち、私たちへの大いなる励ましだ。

この世にあって私たちが遭うどんな苦しみや困難も、それが個人や社会または国際的な大きなものであったとしても、それ自体は問題ではない。神は人類の歴史においてご自分の約束を守られる、と証明してくださっているから。

もし他にどんな証拠がなかったとしても、イェシュア自身という一番の証拠が私たちのもとにはある。イェシュアが生まれたことも彼が生きた生涯も、すでにその何百年も前に預言されていた。ロバに乗ってエルサレムに入城することも、その死も、埋葬も十字架にかかることも、よみがえって天に上られることも、そして主の再臨も― 何百年も前にすでに預言されていた。全ては創造主ご自身による、世界を救うための計画なのだ。

トーラーに書かれている神の約束が成就していく様を考えると、不従順で従わなかったイスラエルにはその約束通りの崩壊・滅亡が確かに起こり、それらは成就した。ということはこの時代、数々の難問に私たちが直面しているとしても、イザヤやエレミヤ、エゼキエル、アモスなど預言者たちの御言葉、希望の預言を読むと私は毎回、喜びで踊りだしたくなる。

私の心は信仰と希望、そして信仰における兄弟・仲間や創造主に対する愛であふれている。イスラエルそして世界に対して、また私の家族や私自身の健康に対しても、それらの状況がどんなに悪化しても、万事大丈夫だと私は知っている。私たちの主は真実で、誠実に約束を守ってくださる方であり、それを私たち自身が知っているからである。

神を愛しその道を歩む者にとって、結末はきっと良いものとなる。それに至る複雑な経緯や途中経過・回り道など、その他のことは神から与えられた1つ1つのレッスン。そこには私たちがより良い人生・永遠の命を歩むため、という神の意思が込められているのを忘れないでおこう。

これはもちろん、(コロナウイルスを含む)全世界で起きている天災による被害なども含まれている。なかなか終わりが来ないと感じるものに対しても終わりは必ず訪れ、このコロナウイルスでさえいずれ神からの長い目で見ると、人類にとって益となるような結果をもたらすことになる。

そんな神を信じ、前を向いて歩んでいこう。


ヨセフ・シュラム師(ネティブヤ)

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