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花が枯れることの意味

お久しぶりです。ZIONです。
少し真面目なラジオドラマ関係者向けの話です。

最近ある声優さんに脚本の内容を、非常に上から目線で色々とお叱りを受けました。ですがその内容が1mmも整合性のない内容で、かつ主観的すぎる意見だったので、「私はあなたに脚本の相談をしているだけでも、共同制作をしているわけじゃありませんよ。あくまで声優さんとしてオファーしたわけであって、いくら作品を良くしたいというような意見とはいえ、言っていることの整合性が合わないことには、単なる余計なお世話ですよ」的な返事をしました。

すると「ではもう辞めます」と、既に次作の収録が月末に入っているにも関わらず、責任感0で逃亡をなされました。まあ誰とは書きませんが、作品が公開されればわかるとは思いますのでほっときます。(重要なキャストがやめれば困るだろう位に考えているんだと思いますが、一次創作者からすると正直どうにでもなります・・笑)

さておき、もうそんなことはどうでももいいのですが、一応関係者の皆さんには「ここだけは必ず理解して貰う必要がある点」を監督として述べておきます。

私はいつも監督として作品全体を俯瞰して、そして出来る範囲の予算や、スケジュール、人員の中から「できるだけ良い作品を作り、必ず公開させる」ことを一番の目的としています。なぜならどんな立派な理想論や、妄想を述べたとしても、ちゃんと完成させて公開させないことには誰にも伝わることもなく、かつ評価もされません。

そして個人的な主観はなるべく入らないように、自分自身にいつも言い聞かせながら作品を作っています。

もちろんそれぞれのキャラクターに思い入れはありますが、あまり一つのキャラクターだけにフォーカスを当てることや、大人の事情、政治的な内容で作品を仕上げる気は毛頭ありません。(あくまで現状はウルトラインディーなので・・。そんなしがらみなどは糞食らえです。w)

あくまで「作品全体を通してのバランス」や「原作者であり、監督として最終的に伝えたいこと」を目的として毎回作っています。

RAZIDRA作品ではなるべくエキストラ的なキャラクターに関しては、一般公募をしていません。それはわずか1つや2つのセリフのために、都内まで来てもらうのが申し訳ないからです。

とはいえ、3つや4つのキャラはいいのかという話ですが、「どのキャラクターにも意味」があります。

それがいちばん重要なことです

わずか3行であれ、1シーンであれ、そのキャラクター、声優さんがいるからこそ作品全体が仕上がります。

逆を言えば、そこで消えるべくキャラクターは必然的に消える必要があり、だからこその意味があります。

別の例えをするならば「花は枯れるからまた咲く、そして意味がある」わけで、「豪華な和食膳の隅にある”おしんこ”」にも確実な意味があります。逆に”おしんこだらけ”になると、もうそれは「和食膳ではなく、おしんこ膳」になってしまいます。

まあ、色々と書きましたが、そんなことです。

最後に――。
主観だけで我儘に何かを表現したいのであれば「自分で作りなさい」とだけアドバイスしています。

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