見出し画像

芸術鑑賞とは。芸術を作る・見る意味。自分なりの解釈の必要性。

美術館に行ったことがあるだろうか。音声案内を聞いたことがあるだろうか。すごくつまらなかっただろう。それもそうだ、蘊蓄なんてつまらないし、すぐ忘れる。なんの意味もない。調べれば出てくる話。暗記している人がいれば、『知らなかったー』と知らをきっておけば大体上手くいく。女子のさしすせそは当然、日本男児の浅いコミュニケーションには必須のスキルだ。ただ、クソつまらない。


日常の愚痴はこれぐらいにしておいて、今回は芸術鑑賞の話しだ。前回の話は少し纏まらない話で申し訳ない。途中で集中力が切れた。


話を始めよう。簡単に言えば、芸術鑑賞は他者理解のツールだと思っている。よくあるものは、作者の生い立ち、歴史的背景、筆のタッチが素晴らしいだとか。そんなのははっきり言ってクソつまらない。


芸術自体が自己表現、存在証明なのだから、相手の気持ちを察するものだとはイメージしやすいだろう。けど、相手に共感するだけじゃ疲れる。まずは自分が相手の表現の中にどれだけ過去の自分を見つけられるか、共感してもらってから次、相手に共感態度を示す。それだけで、充実感が得られる。


簡単なのは、失恋した時に失恋した曲を聞くことだ。でも、それは励まされているだけだ。励まされたあとに、相手に共感態度を示せばより深まる。


幼児は『あ、ブーブーだ。』『あ、ワンワンだ。』と言う。自分の見たものを自分の思うように表現する。大人もそれで良い。自分が思ったこと、気づいたことから『始めれ』ば良い。


芸術鑑賞には第三者の視点が必要だ。見て何もわからなければ、わからない自分がいて恥じればいいと思う。何かわかった気になるのは最低だ。わからないからこそ、もっと知ろう、勉強しようと言う意欲が湧いてくるのだ。幼児の言う程度のことしか言えないなら、そこまでの理解なのだ。描かれているものに自分を重ねること、そして重なること。それが芸術の面白さだ。


歌詞は直接的だ。どちらかというと抽象的な方が面白い。曲調やトーンに合わせたり、絵画の風景に合わせたり自由自在に楽しんだらいい。まぁ、楽しみ方は人それぞれだと思うのだが、『筆のタッチが天才的だ!』と言われても、は?と思ってしまうたちなのでこんな芸術の楽しみ方を思いつき、現に納得している。


クラシック、特にモーツァルトに自分の楽しかった幼少期の思い出などを重ねると凄く良い。僕の起きに入りのやり方だ。これにもやはり、想像力が必要だ。相手が想像力を働かして作ったものなのだから、見る側も想像力が必要だと思うのだが、いかがだろうか?マニュアルばかりの社会だが、自分なりの解釈を持たないなら、何も楽しくできないとおもう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?