生きるならゆたかに

ふと見上げると青空が広がる。

なんて気持ちのいい日だろう、ああなんて、なんて幸せなんだろう。

「ゆたかさ」とはこういうことだと思っています。

空を見上げる余裕があるって、凄くゆたかだと思うんです。

経済的ゆたかさを感じる水準は地域や価値観によって異なります。別にお金持ちが豊かじゃないとかそういう話ではなく、本当にお金がなくてもゆたかな人は沢山いるなと。

逆に仕事に忙しくてお金は稼いでいるのに「楽しく無さそうだなこの人」ってことはありますよね。そういう人を否定する訳ではないのです。私達がみているのはほんの一部なので。その人にも空を見上げる時間があるかもしれない。

私は「誰にでも与えられている状況」に対して幸福を感じることこそがゆたかさではないかと考えるのです。その時間の長さは関係ありません。ペースだって毎日でなくても週末に、一瞬でも感じられたならそれはゆたかなのです。


空を見上げることなんて簡単なこと、それでも出来ない日もあります。この世なんてなくなってしまえばいいと、追い詰められるとその日は無理かもしれない。それでもいい生きてるなら当たり前です。

これが常態化すると危険です。そのうちツラいとも感じなくなります。

忙しいし毎日晴れてないってそういう話じゃないんですよ。周りを見渡して花が咲いてるとか、最寄り駅の改札口が新しくなった綺麗だなとか。なんでもいいんです。

感情が動く事、それが生きることでありゆたかさではないかと。

日本人が自殺が多いとか、経済的ゆたかさの裏返しとして取り上げられますね。日本の働き方って思考停止を求められる。それは空を見上げない訓練をさせている様なものではないでしょうか。

仕事で落ち込むのが悪い訳ではないです。なんとなく隙で、寝ているだけの人でもそう、状況ではなく時間のある無しでもない。

落ち込むことがあっても

感情があること

それこそがゆたかさではないでしょうか。



ゆたかさって言葉自体が主語がないとよくわからないし普通「〇〇のゆたかさ」とか「〇〇がゆたか」って使い方をする。

色々な解釈ができて面白い題材ですね。

私の考えるゆたかさは当たり前の日常の中での感情の動き、その中で感じる多幸感。

主語は「生きている上での」ゆたかさ。

つらつら書きましたが、冒頭のあののん気な感情が私が感じるゆたかさですね。

#ゆたかさって何だろう

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