no.8 最近
お久しぶりです。前回の投稿から随分間隔が空いてしまいました。と言っても、僕は僕の為にこれをしているのでこれはもう致し方ないと言う他ないのです。何上、最近は忙しく、前回綴った通り、僕は今フィリピンにいて英語の勉強に勤しんでいます。ここは凄く退屈な場所です。公道は古い形態の車のガスがムンムンと立ちこみ、道路には元々そこにあったかのように野良犬の糞尿があちこちに撒き散らされ酷い臭いを発している。気候もまた酷いもので、温度が高い上、湿度も高く、外に出れば顎から滴るほどの汗をかくのです。全くもって僕はこの街の何もかもにそぐわない人間だとつくづく感じます。ここの人達は、兎にも角にもポジティブで、その何たるや否や、朝から夜まで働いてタバコのカートンすら買えないほどの給料しか貰っていない上、物価もさほど日本とは変わりません。けれど、彼らの目は輝きに満ちており、僕が何か深刻な相談なんてしてみれば、just enjoy と爽やかな笑顔をくれる訳です。週末になれば、たらふく酒を飲んで(お酒だけは日本よりはるかに安い)踊りまくると言ったことが彼らの習慣なんだそうです。話が逸れましたが、要はここは僕にとって酷く肩身の狭い場所なのです。こちらに来てからの娯楽など、それと比べてみれば、本当にちっぽけなものです。何分僕は踊る事や、騒ぐと言ったことに楽しさを覚える性分では無いのです。ですから、お酒を飲んで日記を書いたり、本を読んだり、好きなクラシックを探したり…。と、とにかく退屈な訳です。最近は、モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」を好んで聞いています、昼下がり、授業を終えてこれを聴き、コーヒーを飲みながら本を読むのは悪くないです。良くもないですけどね。
こっちに来てからという物、自分の中の色々を失った気がします。今まで自分の中にあった、スンっと白い線がだんだんボヤボヤとしきて、たちまちに消えてしまったような感覚が僕にあるのです。自分の言葉をうまく吐き出すことが出来ないのです。言った時には、確かにそれが正しいと思っているのだけど後になって全く違う事を言っていたりというのが凄くよくあるのです。僕は僕の考えについての解像度が下がったのだと思います。それが、何故なのかについてまで僕は理解しているつもりです。しかしそれは発端に過ぎず、問題というのは木の根のように脈々と広がっていってしまうのです。
これについては、凄くよく考えなければならないし、こればっかりは独力で立ち向かうしかないのだと思います。しかし、独りというのは辛く寂しいものです。僕は僕が独りでないと勘違いをしたいのです。しかし、そういう心の穴を埋めるための何かを暗闇の中、手探りで探す事は凄く勇気のいることで、僕は未だそれが出来ずにいます。独りでいると時々、黒い鉛みたいなものが僕の心に落ちてきて、強引に張り裂いて行きます。僕はそうやって出来た穴を埋め合わせる事に高いプライオリティを置いて、多大なキャパシティを割いて生活している物ですから、最近は、ボヤーっと世界に霧がかかったような感覚です。目の焦点が上手く合わないのです。しかし、こう言った時期というのは終わりがいずれくる物だと知っています。ですから、僕はそれを凄く楽しみに、ひたすらに耐え凌ぐ事を努力しようと思っています。
また近いうちに、書きます。
文章がうまく書けなくて、妙な言葉遣いが多々あるかと思いますが、これは僕の殴り書きの文にすぎないですから、気にしないでください。
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