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星のこと | 書き出し縛りのザイン? 2

「人生山あり谷あり」と言うけれど、あれは湖だったな〜と思う出来事がある。思い出すと湖面は張り詰めて、透明の滲出液が反射して光っている。広い水面に映る光の様子を表して、ダプルドといいますと、先生に新しく習った語彙を口の中で弾ませる ダプルド ダプルド 思えば昔から活動するのが好きだった。島から島に渡るように走って、次の集まりに向かって、転んで顔を擦りむいた。片頬がいびつな形にくぼんでいた。立ち上がって砂利を払った、緑の制服の袖口にカーマイン色の血が染み込んでいる。クリスマスカラーだな〜と思う。クワイヤーでキャロルの練習をしている。エミリーの隣でソプラノを歌うから、本番もエミリーの口の動きを追うつもりだ。エミリーはちゃんと歌を暗記している。エミリーのお姉ちゃんが一個上のひな壇でメゾパートを歌う。スコティッシュのアクセントが好き。カッコイイお姉ちゃんが「スターだね、カッコイイね〜」と頬を指差したから、家に帰って鏡のなかの顔をじっと見る。まだ透明の体液が張られていて湖面がぴんとしている。でも形はいびつで五芒も、六芒もなくて星じゃない。星じゃないけど、大事な顔に傷をつけたって家族には怒られて、お姉ちゃんだけが「スターだね、カッコイイね〜」と言う。

バザーでクリスマスプディングの香りの、キャンドルを買う。ブースの先生はお釣りをもらって頬の傷を見ている。みんなには見えていて、知らない間に星だったら、顔に星を貼りつけていま、クリスマスを歩いている。口をあけて、キャロルを歌う。帰ってからバスルームでキャンドルを炊く。蒸気が甘いにおいになる。シャワーに入るときは、それからしばらく水がしみた。触れて鏡を覗き込んでも、星じゃないけど、カッコイイのか。バザーの写真には、頬が写っていて、目を引いた。赤い穴に水が溜まっている。グーグルアースで上から覗きこんだみたいに、神秘的だ。吸い込まれて、時間を忘れて風邪をひきそうになる。バスルームの鏡はくもっている。湖の上なら、雨が降りそうな空模様だ。濡れた頬を指で触ると、外からも中からも星のことを感じる。見えなくても両側から感じる。エミリーのお姉ちゃんは上の段で歌う、見えなくても、いまクリスマスの中で、お姉ちゃんは頬の傷をカッコイイと思っている。星のことを考えて、エミリーの口も見ていなかったから、歌い方はおかしいかもしれないけれど、いい日だ。

もうすぐクリスマスで、エミリーのお姉ちゃんの名前が思い出せない。プラチナム・ブロンドの髪をおさげにしたメガネのお姉ちゃんが、カッコイイと言ったのはたぶんスカーだ。いま思えばスターじゃない、聞き間違いだ。グーグルアースを開いて、聖書の授業で習った、ガリラヤ湖の湖面を見つめる。この十年で、このアースでは、おそらくいろんな湖が干上がって、薄く見えなくなっていった。頬を触って鏡にかざしても白くて滑らかだ。あんなに醜く大きい傷だったが、あとかたもなく、からっと忘れそうになっている。スクロールして引いていくと地形は出っ張りへこんで、深いクレーターがあったりして、湖の周縁からすぐ、ドラマチックにうねっていた。携帯を立てかけて、髪をまとめる。脱衣所の三面鏡のなかにも、峰があれば峡間もあって、なだらかな丘陵がひろがり、川がじっと流れる。この二十年を背負ってきた顔である。動じずに残った山があって、乾いて割れた唇も昔のまま、縦皺が谷をつくって、いまだに皮を剥いてしまう癖がある。でも多分、知らない間になくなっていた湖があって、今日はそれを思い出して、跡地はすべすべ整っていても、少し寂しいクリスマスだ。グーグルアースを引いて引いて、スクロールすればどこかにエミリーのお姉ちゃんがまだいる。顔を擦りむいたときのことを、今は家族がギリギリ覚えている。見えない傷を顔に作って、それが星だったころのことを振り返って、ほかでもない、湖だったな~と思うのだ。


佐藤 悠花 Haruka Sato

2001年生まれ。詩誌『透けやすい』、『断熱線』に参加しています。おすすめのアイスはスイカバーです。



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