見出し画像

記録と記憶。

好きだったドキュメンタリー番組があった。
録画を削除して、もう観れないけれど、今でも好きだ。

好きなのに削除したのは、そのドキュメンタリーの本を買ったから。
ドキュメンタリーにはなかった続きが、その本には書いてあったから。
何度も何度も観たので、本に関心が移ったから。

そのドキュメンタリー番組は、『ふたりの桃源郷』


初めて目にしたのが、いつだったからは思い出せない。
深夜の番組で、タイトルが気になったから録画した。

録画して、何度も何度も観ている。
観る度に、心がやさしくなれる。
見終えると、微笑んでいる自分を感じる。

ドキュメンタリーのラストシーンは、
  今でも忘れないし、これからも忘れない。

「おじいさーん、おじいさーん」

削除したから、ドキュメンタリーを観ることはできない。
本を読み進めると、多くのシーンが本の言葉とともに私の心に映る。
録画という記録が、記憶になって心のスクリーンに投影される。

フサコおばあちゃんと、私の母親は似ていない。
雰囲気も、性格も似ていない。

だけど、なんだろう。
フサコおばあちゃんを観ていると、母を想い出す。

録画したとき母は生きていたが、実家から離れていた。
録画をみると、母のことを想った。

4年前に亡くなったが、それでも想い出す。
そして、後悔も一緒に戻ってくる。

想い出すというよりも、揺り起こすの方が近いかもしれない。
激しくではなく、やさしく懐かしい何かをそっと揺り起こしてくれる。
それがどこか心地いい。


数年前、映画になっていたことを知った。
録画をみてフサコおばあちゃんのその後が気になり、調べて知った。
そしてもう少し早く知っていれば、移動圏内で映画を観ることができた。

やっぱり、映画館で観てみたい。
想い続ければ、いつか観れると思う。
そうか、テレビで放映してくれるかもしれない。

生きることの素晴らしさが込められた作品。
相手を思いやることがどれだけチャーミングかも思い出させてくれる。
相手は何も人間だけでない、自然もそうだ。

いつか映画を観れる日が訪れるのを、楽しみに待とう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?