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(アカウンティング⑮)会社を評価するとは ~目標に対する評価ではない

私たちは何かをする時、必ず目標をたてている。誰かが何かをしようとする時も、目標をたてるようにいう。しかし、必ずしも目標は必要でない。また目標だけを求めてもいけない。この考えに至った背景が二つある。一つは私個人の体験から、もう一つは客観的視点から。

私の家族がリハビリをしていた頃、私は小さな目標をたてることを勧めた。階段を一段ずつ上がるように、小さな目標を達成していくことが成功体験となり、リハビリに効果的だと思ったから。しかし、目標をたてることがかえって気持ちをネガティブにさせることを思い知らされた。

達成できないような目標をたてたりはしない。達成できるだろうと思って目標をたてる。しかし、気落ちしていた当事者にとっては、「達成できなかったら」という不安がリハビリするたびに襲ってきていたらしい。
その不安は目には見えなくて、言われるまで全く気づかなかった。不安の限界に達して、「目標、目標と言わないでほしい。できなかったら、自分が情けなく惨めになる。苦しい。」と絞り出すように言われた。言われた自分自身、恥ずかしくなった。

その時初めて、不安を抱えている人に無理に目標をたてることは必要ないと思い知った。成功者が成功の秘訣を尋ねられると、「たてた目標に向けて努力を怠らなかった」という。
この答えを聞くと多くの人は、「努力は裏切ないから、努力をしよう」と感じる。うまく成果がでない人に対しては「努力していない」と責め、「努力が足りない、もっと努力しなさい」と更なる努力を促す、いや強いる。

悩みを抱えて不安な人に本当に必要で大切なことは、寄り添うこと。

客観的に評価し判断を下すのではなく、一緒に感じてどうすればいいのかを一緒に考えていくこと。これは経営においても忘れがちだが重要なことである。

「なぜ、目標をたてるのか。」

また、目標をたてることで、想いや意思とは反対に行動を歪めていくこともある。それも知らず知らずのうちに。
目標は、結果がある程度 “予測できる” という前提のもとでたてる。目標に対する結果が何となく見えてしまうから、目に見える結果ばかり追い求め、目に見えない想いのあった目的から少しずつ逸れていく。
目標に向かう道しか見なくなるので、道の外にある可能性にすら気づけなくなる。目標をたてることで実は、歩く道を歪め、時には行動を狭めていく。

この考えに辿り着いた時、あることに気づいた。目標をたてるのは、実は人を奮い立たせるためでも前向きにするためでもない。本当の理由は、管理するため。相手の想いや意思とは無関係に目標を振りかざして、相手を思うようにコントロールしていく。

しかしVUCAの時代では、予測することも管理することもともに難しくなる。予測することも管理することもできない目標に対する評価には、意味がなくなる
そう、これからのマネジメント2.0では、予測しなくても管理しなくても結果や成果がついてくるマネジメントが求められる。マネジメントがこのように変わると、従来の予測管理できることを前提とした会計も変わらなければならない。

新しい会計では、予測も管理もしないという発想に変えていかなければならない

「評価は、何に対してするのか。」

このように思索していた時に、ある疑問が、大きな疑問が浮き上がってきた。すでにふれたように、目標に対する結果を評価して会社の価値として表している。しかし、本当に目標に対する評価でいいのかどうかという疑問。

目標が目的から逸れていくこともある。誤った道を進む多くは、目的から逸れた目標をたててしまい、その目標を追い求めるから。だから今、原点に戻ることがいろいろなところでよく言われ、よく聞く。

「目標を達成したことを評価するのか、それとも、別の “何か” を評価するのか。」

会社の価値でもふれたように、この別の何かが、目的に対する行動になる。

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