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美しい想いを色あせない行動に。

今、骨髄バンクへの関心が高まっている。
関心が高まることは、いいこと。
ただ、同時に関心の高まり方に不安がある。
そのことについて、ふれていきたい。

冷静に考えて登録を。

以前ふれたが、私はほぼ一年前に骨髄バンクに登録をした。
実際に登録をしたから、思うことがある。

勢いでなく想いをもって登録した人ですら、提供できない人もいる。
できない理由は人それぞれ、だけど多くの人が考えている以上に多い。

「なぜ、提供者が少なくなるのか。」

すごく気になり、骨髄バンクや骨髄移植についていろいろ調べた。
調べれば調べるほど、痛さなどから怖くなったりして、悩んだ。
その怖さ以上のものに襲われ、登録をすぐにした。

考えて考えた上で、登録を決めた。

勢いだけで登録した人は、きっと二の足を踏むと思う。
それ以上に怖いことがある。

登録したことすら、忘れているかもしれないことに。

まだ提供したことはないけれど、想像だけはできる。

患者さんはドナーが見つかると、希望がみえて嬉しくなる。
患者さんの周りの人も、同じように嬉しくなる。
だから、提供を辞退されると、その反動はとてつもなく大きい。

また長い闘病生活に戻る。
次いつ適合者が現れるかわからない、という不安を抱えて戻っていく。

そう、希望をもたせて絶望に落とす行為になってしまう。

想いをもって登録したからこそ、辞退を告げるのは苦しかったと思う。
辞退を告げられた人も、告げた人も、誰もが苦しんだと思う。

美しい行動を色あせないためにできること。

骨髄バンクに登録することは、素晴らしく美しい。
その素晴らしく美しい行動を、色あせないでほしいと切実に願う。

彼女のためにという想いはわかる。
ただそれ以上に、すべての患者さんのことを想って登録してほしい。
彼女が治った後も、提供の意思を持ち続けてほしい。

そうでなければ、美しい行動の意味がなくなるから。
色あせた行動になってしまうから。

それに何よりも、そのような行為を彼女は悲しむと思う。

だから、責任と覚悟をもって登録してほしい。

一過性で終わらせないでほしい。

震災などが発生した時、多くの人は関心をもつ、そして想う。

「自分にできることは何か。」

発生当時は、寄付や献血、ボランティアが急激に増える。
しかし、時の経過とともにその数は減っていく。

向けていた想いが、別の何かに向かっていく。
登録したことを、忘れてしまうかもしれない。

最近想うのは、一過性が強くなってきた気がしてならない。

関心の上がり下がりが激しくなってきた気がする。
批判したかと思えば称賛し、称賛したかと思えば批判する。

感情むき出しといえば、いいのか。
何がそのようにさせているのかが、気になってしょうがない。

一過性に終わらせないために、骨髄バンクの仕組みが問題という人もいる。
提供する際にリスクがあるのに無償でするのはどうか、という意見もある。

そう、メリットがなく、デメリットしかないと。

この考え方自体が、エゴの塊が、すごく怖い。
メリットでしか考えなくなるから、一過性になるのかもしれない。

その場その場、その時その時の、一瞬だけで判断してしまう。

希望や未来は、自分たちの行動で創れる。

これからは、美しい行動をし続けていくことが大切になってくる。
し続けるには、一人の力では限界がある。
時間やお金などにも限界がある。

多くの人の力で、社会の力でし続けられるように考えないといけない。
誰かから誰かに想いを引き継いでいくように。

今いろいろなところで、「希望がない」「未来がない」という声を聴く。
なければ、自分が希望と未来の懸け橋になったらいいと思う。

実際、そういう行動を起こしている人は多い。
ただ、見えていないだけ、知らないだけの話。

行動を起こすことと同じように、行動をし続けることも大切。

さて、毎月の献血に行ってこよう。

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