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(第1回) 私は扉でありたい

これから7回載せていくのは、「私の説明書~書くことで何をしたいのか」として書いた文章から。今改めて、一般企業に対して自分を説明する資料でよく書いたと思う。1回目は、「私がありたい姿」を書いてみた。

< 目次 >
扉とはなにか
扉になりたい
扉でありたい

どうありたいのか

  私は、扉でありたい。
  私は、希望そして未来が“在る”ことを伝える扉でありたい。


扉とはなにか

「私たちは、どのくらいのことを知っているのだろうか。」

知っていることはごく一部、知らないことの方が圧倒的に多くある。知らないことに出会うと、知らないことを受け容れるか拒絶するか、どちらかの態度をとってしまう。そして受け容れるよりも、拒絶をよくしてしまう。「その話、聞いていない(=知らない)」と言ったことはないだろうか。

「私たちが知っていることは、正しい情報なのだろうか。」

知っていることがすべて正しいとは言えない。正しいと思い込んでいることが多くある。思い込んでいることに対して誤りなどを指摘されるとつい、「あなたが間違っている。私の方が正しい。」と扉を閉ざし、会話することを拒絶したことはないだろうか。

扉のこちら側には、知っている情報、正しいと思い込んでいる情報がある。扉の向こう側には、知らない情報、本当に正しい情報がある。扉の向こう側にいくと、どのようなことが待っているのだろうか。

「知らないことを “知る” 」、「思い込みなどに “気づく” 」、そして「新しいことを “発見する” 」など、新しい出会いが扉の先に待っている。こちら側と向こう側がつながると何が起こるのだろうか。

意識に変化が起こり、行動を起こし、社会や未来を変えていく。知ることそして伝わることで、変化が起きていく。波紋が拡がるように、変化が起きていく。

・ 扉とは、変化を起こすきっかけになるモノ
・ 私がありたい扉とは、人や社会の意識に変化を促す存在
・ 扉の向こう側で何かに出会うと同時に、存在を忘れられたい扉(私)


扉になりたい

「本当は、何を、したかったのだろうか。」

2016年に突然、この答えが私の目の前に顕れた。何かに思い悩んでいた訳ではなかった。ただ気づいていなかっただけ。心の奥には “秘めた想い” が在った、隠れていた。今までの人生の歩んできた道に意識を向けだすと、秘めた想いが所々に顕れてくる。なぜ今までこの秘めた想いに気づかなかったのだろうか。

それは、秘めた想いが扉の向こう側にあったから。カギがかかり、扉は閉ざされていたから。扉の向こう側に何かがあることは、何となく感じていた。しかしカギがなく扉を開けられず、扉の向こう側に行けなかった。だから秘めた想いに気づかなかった、いや気づけなかった。
扉のカギが突然目の前に現れた。扉の向こう側にある秘めた想いにふれ、問いの答えが顕れた。扉のカギ、それはあるアーティストの言葉だった。

「アートが社会にできることは何だと思いますか。」
「 “安心安全な場” をつくることだと思います。」

安心安全、何十回も人から聞き、何十回も人に話してきた言葉。日常にあった言葉だったにも関わらず、この言葉を聴いた瞬間に扉が開き、扉の向こう側にあった秘めた想いにふれ、心が揺さぶられた。言葉が心にふれて、初めて気づいた。『安心安全な場をつくる』、これが本当にしたかったことだったと。
言葉にふれてから秘めた想いに気づくまでの約一時間、京都の鴨川沿いをひたすら歩いていた。歩いている間、いろいろな言葉が頭の中で沸き起こり、駆け巡った。言葉の渦が収まり、中心にあった想いに気づいた瞬間、心が優しく、温かく、和かく、穏やかに、そして嬉しくなったことを今でも覚えている。待ち続けていたものにやっと出逢えた、そんな感じだった。思わず大きく息を吐いた、言葉がもれた、いや言葉でない何かがあふれ出た。
その後、どのようにすれば安心安全な場をつくれるかを考え、仕事の内容を一部変えた。一年ほど経ったある時、今度はある疑問が頭をよぎった。

「場でなくてもいいのではないだろうか。」

場という言葉が拘りとなり、いつしか囚われていたことに気づいた。場という言葉から離れ、私が安心を感じた状況を想いかえしてみた。
安心を感じたのは、言葉に触れたとき。ホッとよりもハッとしたときに、強く安心を感じた。呼び覚まされた何かに気づき、何かを発見し、私の内側でいろいろな変化が起きていった。
この状況に心当たりがあった。私が本当にしたかったことに出会った時と同じだった。場ではなく “扉” が、そこには在った。場をつくるのではなく、自分が扉になればいいことに気づいた。

「人に、社会に、未来に変化を促せる、扉になりたい。」


扉でありたい

始めは、扉になりたいと思った。どうすれば扉になれるのか考えた。考えていく途中で気づいた、すでに私は “扉であった” ことに。なりたいではなく、すでになっていたことに気づいた。
私を通って、変わっていく人たちが何人もいた。変わった本人から、周りで変化をみていた人から、「(私と)出会って、(あの人は)変わった」と何度か言われ、なぜかすごく嫌な気持ちだった。それは、変わったことがいいことか悪いことかがわからなかったから。
なにか責任を押しつけられている気がした、ネガティブに捉えていた。受身でなく受け容れることで、意識が変わった。意識していなかっただけで、昔から私はなりたいと思っていた扉だった。

「これからは、意識して扉であり続けよう。」
「扉であることを意識して、変化を促そう。」

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