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コンシャス・キャピタリズム(意識の高い資本主義)

この文章は、5 年以上前の2013 年12 月に、以前使っていたブログに投稿した内容。改めてnote 用に文章や言葉をリニューアルにしてみることに

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今朝(2013年12月29日?)の日本経済新聞の「私の履歴書」を読んで、驚きがあった(誰の履歴書だったか、今は思い出せない)。それは、以前少しふれた、私が考える資本主義に近いことが書かれていたから。

ひょっとすれば今まで読んできた本に、その言葉「コンシャス・キャピタリズム」があったかもしれない。ただ似たような言葉に数多くふれて、それが自分なりの資本主義像が出来上がっていった。

「コンシャス・キャピタリズム」を検索すると、この言葉自体まだ新しい言葉であることを知った。本がないか調べたけれど、まだ本までは出版されていないよう。

先日noteに投稿したこちらで紹介もしたが、似た本『コンシャス・ビジネス』が2014年12月に出版されている。

コンシャスに関する言葉を紹介することに。

(コンシャス・キャピタリズム)
「私の履歴書」から引用すると次の通り。

利益追求だけでなく飢餓、貧困、栄養失調の解消など、あらゆるステークホルダー(利害関係者)のココロを動かす高邁な目標を掲げる社会

(コンシャス・ビジネス)
『コンシャス・ビジネス』で紹介されているのは次の通り。

「コンシャス」と引くと、「自分の内外の世界に目を向けること。気づき、意識」と出てくる。つまりコンシャス・ビジネスとは、自分の仕事を意識的に行うことを指す。
( P5より )

2013年最後の最後に、タイトルに一目ぼれして買った本が、『経済学は人々を幸福にできるか』

著者は、心の経済学者の宇沢弘文先生。この本に出会ってから、宇沢先生の本は何冊も買って読んだ。会ったことはないが、勝手に先生と呼ぶぐらい影響を受けた。いつか、宇沢先生から、何を感じて、何を受け取って、何を人に伝えたいかを綴りたい。

紹介した文章や、宇沢先生の本のタイトルから、きっと何か気づかれたと思う。

ココロ(心)を、資本主義の中心に据え直すことが、これから求められていく。宇沢先生は、20世紀末からこの思想を訴えてこられた。

よく資本主義の話で言われるのが、利益が目的か、利益は手段か。

多くの企業は、利益を獲得することを目的にし、行き過ぎた経営体質に変わっていく。このような資本主義を、多くの人はイメージし、そして批判・批評をする。
それとは違い、目的を実現するための資金を得るというのが本来の資本主義。そう、利益は手段にすぎない。このことについては、多く人が語っている。

この記事で、もう一つ印象的だった言葉があった。

資本主義は正しい選択であり、私たちは資本主義をさらに優れたものにしていく必要がある。

まさしくその通り。そして競争社会の先には、コンシャス・キャピタリズムはないと思う。“何故競争するのか”、“誰と競争するのか” などを考えると、それは明らか。

また、日本の教育では、ゆとり教育が社会をダメにしたので、強い(?)日本を取り戻す(?)ために、競争を学校現場に戻そうとしている。今、日本社会が進もうとしている先には、恐らくコンシャス・キャピタリズムは映らないだろう。

「共有(シェア)」「共感」「共創」などは、コンシャス・キャピタリズムの実現のために必要な部分。21世紀には必要な考え方だと考える。

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