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三番目の兎を追いかける。

今朝の早朝(元旦の6時)に窓を開けると、綺麗な月が飛び込んできた。

外は寒く冷たく、きりっとした空気の中の、月に温かさを感じた。
思わず、この時を大切にしたいと思い、写真を撮った。

月の上の緑の光。
別の写真では、月の周りを動いている。
何となく、緑の光が自分のように思えた。

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最近の組織では、自主性や自律性に “任せる” という。
そして、“管理しないようにする” ともいう。

これらは、今まで管理する側からの言葉。


こう切り出されると、「自由だ」と思ったりする。
しかし、自由になれたと思えるのは、最初だけ。

時間が経ち、ふと考える。
「何をしていいのかわからない」

何をしていいのかわからないまま、
  責任だけが管理する側から管理されていた側、自由を手にした側に、
    知らず知らずのうちに移っていく。


何をしていいのかわからず、立ち往生してしまう。
立ち往生して立ち止まっているのに、
  責任だけはいろいろな方向から押し付けられる。

おしくらまんじゅうのような状態になって、ますます身動きできなくなる。自由を手にしたはずなのに、かえって不自由になる。

従来の責任について違和感を持っている人は、こちらの本がお薦め。
『<責任>の生成』

著者の一人は、『中動態の世界』の國分巧一朗さん。


制度だけでなく、その制度を
  十二分に発揮できる環境までも一緒に用意しないといけない。
何をしていいのわからない人には、
  少し具体的なやり方を紹介した方がいい。

一見、相手のことを思っているようにみえて、実は冷酷だ。

両方一緒に追い求めるのは、難しい。
といって、どちらかに集中して傾けると、無理がたたる。
右にいったり、左にいったり、ゆらゆら動きながら、最適な軸を見つける。
そう、しなやかさが必要だ。

中途半端に真ん中だけをとすると、宙ぶらりん状態になってしまう。

そのしなやかさを求めることで、三番目の兎が現れてくる。
その兎を求めることが、大切になってくる。

今朝の月の周りにあった緑の光が、三番目の兎のように思えた。


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