義務や責任より、感謝。
2018年3月に個人事務所サイトに投稿した内容を、改めてnote用に文章や言葉をリニューアルしてみた。
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「3.11」。
毎年いろいろ考える日になっている。
今年は、次の言葉について考えた。
「社会貢献」
以前から違和感があった。
社会貢献という、音からくる響きに違和感があった。
“貢献”
言葉に囚われてはいけないと思いつつ、
言葉に拘っているので、
気を遣って使うようにしている。
投資に、社会的責任投資(SRI投資)がある。
“責任” という言葉にも、同じような違和感がある。
貢献や責任という言葉から、どのようなイメージが浮かぶだろうか。
社会のために何かをすることが義務であるかのように、感じてしまう。
“貢ぐ、献じる”
どちらも上の人に向かって遣う言葉のイメージがある。
どっちが上とか下ではないとは思う。
そんな意図があって使っていないのはわかっている。
しかし言葉を大切にしたいので、つい気になってしまう。
社会貢献をしない会社は、悪者のように扱われる。
利益を内部留保している会社も、同じように扱われる。
あくまで善意での想いからの行動であるにも関わらず、
“しなければ” という圧力をすごく感じてしまう。
そしてできないことに対して、自分を責めてしまう。
何も責めることはないのに、責めて苦しまれる。
それを感じると、心が痛くなる。
東北には震災後何度も行ったが、まだ自分を責めている人がおられる。
震災後止まったままで、何もできていない自分を責めている人がおられる。
善意はあくまで善意で、しなくても決して悪者のように扱ってはいけない。
これは、子どもに勉強しなさいと言うのと同じではないだろうか。
子どもは、誰かの義務のために、勉強をしていない。
勉強すれば、「よく頑張ったね」と褒めればいい。
褒められると嬉しくなって、また頑張ろうと思う。
義務や責任という表現にすると、「して当たり前」と思ってしまう。
当たり前だと思うと、感謝をしなくなる。
社会にいい活動をしている会社に、
「ありがとう」と感謝を伝える社会がいい。
社会をよくする活動をしている会社を、
応援し支援できるような社会がいい。
そうすれば、きっと社会はよくなっていくから。
ネガティブキャンペーンも必要だとは思うが、
ポジティブキャンペーンのような仕組みがあってもいいと思う。
「ありがとう」であふれた社会になってほしい。
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