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(デザイン⑫)デザインに求められるもの ~イルミネート

正しさと美しさ

今までの意味づくりを纏めると、「対立する二つをつなげる意味をつくること」という概念になる。この対立する二つの軸を、“正しさと美しさ” と考えている。

「なぜ、正しさと美しさなのか。」

正しさと美しさが対立しているのかどうかは非常にわかりにくい。そもそも対立という表現自体が難しく、ここでは「両方追い求めるのが難しい」ことを対立という表現にした。
気になる対立する言葉を挙げて並べて見比べていく中で、直観的に思い浮かんだ言葉が、“正しさと美しさ” だった。

対立していると思う言葉の代表的な例を挙げていくと、現実と理想/数字と文字/データと想い/客観性と主観性/科学と非科学/信頼と共感/行動と理念/手段と目的/倫理観と美意識/機能性と審美性など。

もう一つの理由は、私が経営に求めているものが “正しさと美しさ” だから。この点については、「(デザイン⑭)会計におけるデザイン ~デザインの役割」でふれたい。
正しさと美しさが浮かんだ後に、正しさは “頭で考える” もの、美しさは “心で感じる” ものといえることに気づいた。

正しさと美しさの距離間は、近いようで遠いような感じがするかもしれないが、実はここに軸にした意味がある。
正しさを求め過ぎると美しさを、美しさを求め過ぎると正しさを、それぞれ置き去りにしていく。いつしか、二つの間にギャップが生まれ、埋めようとしてもなかなか埋まらない。
二つとも求めれば素晴らしい世界が拡がっていくのに、どちらか一方を選ぶことで偏りのある窮屈で息苦しい世界になっていく。そう、現代社会のように。この絶妙な間を正しさと美しさで表現したかった。

私たち日本人は、正しさと美しさのどちらを求めてきたのだろうか。河合隼雄は『ユング心理学と仏教』の中で、次のように書いている。

日本人はその行動を律するとき、倫理観よりも美意識によっている方が多いのではなかろうか。
( P269より )

倫理観は正しさを、美意識は美しさを表している。日本人は本来、美意識から行動を律してきた。行動が正しいかどうかでなく、行動が美しいかどうかが判断基準だった

しかし、明治になって西洋思考が入ってきて、日本人の意識や価値観を大きく塗り替えられた。今の日本人に、正しさと美しさのどちらを優先するかを尋ねると、正しさと答える人の方が多いのではないだろうか。

こちら側(私)と向こう側(相手)の正しさは、必ずしも同じではない。同じであることよりも、違うことの方が多いのではないだろうか。お互いが正しさを相手に押しつけた結果、社会はどのようになっているだろうか。今の社会を見渡せば、答えは一つ。

だからこそ、21世紀は美しさが求められると考えている。同時に、美しさを追い求める正しい行動が求められる

イルミネート

今までの流れを纏めると、“会計の限界” から思索を始め、会計にデザインを加えた “日本らしいアカウンティング” という “会計の可能性” を発見した。
日本らしいアカウンティングとは「余白をデザインする」ことで、デザインに「意味を浮き上がらせ、価値を発見する」という役割を求めた。
社会の構造問題から “意味とは何か” を思索し、“意味づくり” という概念を考えた。意味づくりの概念は、「対立する二つをつなげる意味をつくること」。

意味づくりの “対立する二つをつなげる意味をつくる” とは、「みえていなかった(隠れていた)本質に光を射す」ことでもある。“光を射す” という表現から、イルミネートという言葉が、私の前に顕れた。
イルミネートという単語には、“照らす” という意味もある。単語のもう一つの意味からイルミネートに、「正しさと美しさの先にある目的地までの道を照らす」という新しい役割が生まれた。

照らすことで何か(意味)が浮き上がり、何か(価値)を発見する。そう照らすとは、私が求めたデザインの役割。最後に、会計におけるデザインについて思索していくことにする。

( イルミネートの役割 )
● みえていなかった(隠れていた)本質に光を射す
● 正しさと美しさの先にある目的地までの道を照らす


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