やさしさはあなたと私の間で揺れている

僕の友人でもあるミュージシャン、Onettの新EP『やさしさについて』が素晴らしく、自然と心とペンが踊ったので、その中から表題曲『やさしさについて』と『恋は割りに合わない』についてエッセイを書きました。


・『やさしさについて』

「やさしさについては秘めながら出していく」

やさしさを秘めながら出していくというのは、なんとなく想像できる。しかし、「やさしさ”について”は秘めながら出していく」というのはどういうことだろう?

「やさしさについてはまだ語れなくて」

ここでいう” 語れなくて”とは、やさしさについて感覚ではなんとなく分かっていて、自分の中で答えがぼんやりあるような気がする。だけど言葉にするには自信がない。恐らくそういう度合いだと思う。つまり、やさしさについてのはっきりした答えは出ていなくて、自分が今思っていたり考えているやさしさが正しいかどうか自信がない。だからやさしさではなくて、やさしさについてなのだろう。
ここではやさしさは変化の可能性をもっている。やさしさがあなたと私の間で揺れている。この歌では、やさしさがあなたと私の間で応答しあい、やさしさが揺れているさまが歌われているように思える。
これは僕のやさしさではなくて、やさしさについてなんだけど、君はどう感じているのだろう?「やさしさについては秘めながら出していく」とは、だぶんこんな感じではないのかと思う。

・『恋は割りに合わない』
あまりにもなめらかなでスウィートビターなメロディー。いつもポケットに入れておきたい歌。今年のキラーチューンといっても過言ではないと思う。

「だんだんマシになっていくんだよ 恋を経てさ 私たちは」

恋の向こうにあるのが愛ではなく「マシになっていく」があるのも本当にいい(この歌には愛という言葉はでてこない)。いや、もしかしたらここで歌われている恋は、愛と考えられている領域も含まれているのかもしれない。もしそうだとしたら、愛とは恋がマシになっていくもの、というふうにも解釈できるのではないだろうか?
そしてこの歌にはどこか投げやりな気持ちを感じる。「マシになっていくんだよ」というのもそうだろう。でも僕は何かを目指してそこに向かっていくのではなく、偶然に身を任せている感じが素敵だと思う。そこには信頼を感じる。「マシになっていくんだよ」「だんだん混ざり合っていくんだよ 幸せがさ」というのは、投げやりでいつつも、なんとかなることを信じているような気がする。
もしかしたら、目指すべき幸せや理想がなくなっていくことで、だんだんマシになっていくのだろうか?あなたと私がだんだんと混じり合い、あなたと私というものが形を成していき、あなたと私があなたと私としてただ過ごしていく。これは目指すべき幸せを超えた幸せなのかもしれない。
そうだよ、幸せを目指さなくてもいいんだよ。

「だんだんマシになっていくんだよ 痛みとともにさ 私たちは」


bandcamp


spotify


apple 



soundcloud


youtube



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?