私は陰キャです。
面白い人間になりたい。
私のようなちっぽけな人間は強くそう願う。
しかしながらいくらか考えてみても、面白いとはなんなのかわからない。
こういう時に私という人間がいかに「持っていない」人間なのかが良くわかるから途端に憂鬱になる。
別にしにたくもないのに「ああ生きてる価値なんてあるのだろうか…ああ」と暗い感情が顔をのぞかせる。
そうすると今度は、面白い事がしたい面白い人間になりたいというどう考えてもプラスの発想から始まっているのにも関わらず、最終的に行き着くのが「しにたい」ではどうにも報われないじゃないか、と次第に怒りに似た感情が生まれてくる。
そんなこんなで私は今、twitterで4コマを描いているのだった。
私の貧相な発想力では自分一人で面白い事をしてやろうと思ったら、これくらいしか思いつかなかったのである。
先に断っておくが私の画力は下の下であり、学生生活では唯一1をもらったのは美術の教科だ。
液タブを持っているわけでもない。したがって紙にシャーペンで書いてスマホのカメラで撮影してせっせとtwitterにアップロードしている。紙にシャーペンで書く何とも言えない落書き感が私は好きなので別に問題はないのだが、画力と相まってみすぼらしさは否めない。
それでも4コマを描きたくなった。ほんの少しでもクスっとできるものを作ってみたかったから。
実際にクスっとしている人がいるかはわからないが、今のところ私なりに楽しく描けている。真剣さが増してくれば、画力はそんなに簡単に変わらないが丁寧さは変わってくるものである。
そして28歳の今になって絵と向き合って思った事が一つある。
絵というのは「積み上げ力」なのだと。
細かく細かく少しずつ丁寧に積み上げていくことで絵はクオリティがあがっていく。
絵が下手という事はこの「細かく丁寧に時間をかける」事を放棄しているからだと私は思ったのだ。
そしてこの姿勢というのは絵に限らない気がするのである。
上手い下手は技術力も関係するが、絵をみれば丁寧に描こうとしているのかなど姿勢は見えてくる。
つまり、何が言いたいかというと
下手なうえにそれにかまけて雑に描き開き直る人間は、あまり信用しない方が良いかもしれないという事だ。
私の事でもあるから、偉そうに言えないが。
結局、怒りの感情を力に変えて4コマを描いても、仄暗い気づきを得てしまう私はまさしく「陰キャ」だなと思う。
それでもいいのだ。
誰かの力になれれば…ね。
うそだよ!!!!!!!!!!!!!
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