現代における匿名性
ときにパフェは、ある情景や建造物などパフェの枠を超越した何かを感じさせてくれることがあります。
その中でもsrecetteさんのパフェは“人”に見えることがほとんどです。その理由は、表層と中層の間にメレンゲの扉に設けて外と内の顔(アイス)を分ける構成、そして丁寧な名付けにあるのだと思います。
今回は、srecetteさんによる23本目のパフェ『Anonyme』を作品名という観点から自分なりに解釈しました。
作品名になっているanonymeは、フランス語で匿名/無名/作者不明を意味するそうです。
匿名という言葉に、淀んだ負のイメージが付いていたのは2000年代前半までの感覚だったと記憶しています。
インターネットの発達によって、個人的意見を不特定多数に発信することが可能となった当初、匿名による心ない言葉をたくさん見かけました。
徐々に匿名の発言にも責任が伴うと認識されていくのと同時に、責任と表裏の関係にある権利もまた匿名に付与され、今に至るまで本名を使わず匿名のまま出来る物事が増え続けています。
芸名と呼べるほどの明確な目的がなくとも別名を持つことは、今の若者にとってごく自然なスタイルです。
この現代を生きる若者の感性は、菅原玄奨 個展「anonym」の解説文中で、「特有性よりも匿名性、崇高性よりも偏在性に惹かれていくミレニアム世代の感性」と説明されていました。
近代の評価軸は天才やスターと呼ばれる特定の個人に還元されてきたオリジナリティでしたが、現代では形の模倣とコミュニティ形成の速度が新しい評価軸になっています。
情報網と物流の発達、そして過激な価格競争により、なりたい姿になることは比較的容易な時代です。似通ったファッションに身を包んだ若者は、個人を特定できるような要素を排除した記号的で匿名な存在に近づいていきます。
それはまさに形の模倣の低コスト化による恩恵であり、無名であることになんら劣等感を持っていないという意思の表れです。
Métaphoreが14歳の男子だとすれば、Anonymeは彼が19歳になり、ファッションへの興味と別名を持った姿なのかもしれません。
コロナ禍の現在、srecetteさんのパフェは完全予約制で、そのシステム上どうしても“srecetteさんのパフェ”であることを認識して食べざるを得ません。
srecetteさんのパフェだから美味しいに違いないだろう。たとえ正の方向性であってもその先入観は、パフェとの対話においてはノイズになります。
時代とシステムの制限によって生まれた誤差を小さくするために、僕たち食べ手に出来ることは何か。
それは、美術館で作者不明の絵画を観るように、作者と作品を切り離してパフェと真摯に対峙する姿勢を強く意識することなのだと思います。
Anonyme、思いを巡らせる余白がある良い名前ですね。
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