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目指せ!チンピラからの脱却

雨が鬱陶しいわ〜と思っていたら、とんでもない災害になっていてびっくりです。ひとりでも多くの方が助かることを祈っております。

今回は、自分の性格についての話です。

私は少々、いや、かなり、攻撃的な性格をしています。

noteでは、できるだけ落ち着いた文体にして、多くの人に読んでもらえるように心がけているので、あまり伝わらないかもしれません。

ですが、このへんのマガジンの記事を見ていただくと、私のチンピラ精神がそこかしこに滲み出ているかと思います。なんかこう、常に喧嘩腰な感じ。

なにも、菩薩のようになりたいというわけではありません。
ただ、チンピラであることは疲れるのです。
周囲を威嚇し続け、売られた喧嘩は全て買う。そりゃ疲れるわ!

自分が攻撃的な性格をしていたおかげで、弱者として消費されずに済んだ、という経験は多くあります。なので、この過激なチンピラ精神を、完全に捨て去る必要はないと思っています。

ただ、これまで色々経験してきたうえで、「こんな風にいちいち消耗しているの、アホらしくないか?」と疑問を持ったのです。
もっと、別の対応の仕方があるんじゃないか、と。

というわけで、チンピラ精神を自分の制御下におくにはどうすればよいか。
これを考えていきたいと思います。

”勝負疲れ”している方、「チンピラ精神って何?」という方、単純に暇な方。最後までお付き合いしてくださると嬉しいです。

チンピラ小学生の爆誕 -ナメられたらやり返せ-

そもそも何故、私が攻撃的な性格をしているかというと、もちろん生来の気質もあるのでしょうが、一番思い当たるのは「父親の教育」です。

どういう教育を受けていたかお話する前に、前提知識として、私の容姿について説明いたします。

私は身長が低いです。大人になった今でも、150センチないくらい。
背の順並びだと、いつでも先頭。当然、小学生の私はチビでした。

そして、色白といえば聞こえは良いんですが、色素が薄めなので、ちょっとぼんやりしているとすぐ「具合悪い?」と聞かれます。これがデフォルトの顔色だよ!!元気だよ!!!

で、さらに、目が悪いので、メガネをかけています。
それも、小学生の頃からです。ゲームやPCが普及した今となっては珍しくもなんともないですが、私が子供の頃は、メガネなんて子供がかけるものではないという風潮がありました。メガネ=ガリ勉、みたいなイメージ。

チビで、色が白くて、眼鏡をかけた、長髪の女の子。
それが小学生の私でした。

何が言いたいかというと、子供の頃の私は、弱者としてみなされる条件を見事に揃えてしまっていた、ということです。

小学校〜中学校までは、弱肉強食。言い方は悪いですが、いわば猿山です。
おとなしい子、弱い子は、声の大きな子、力の強い子に支配される世界。

私は転校生だったのもあって、すぐに男子に目をつけられました。
いじめというほどではないですが、攻撃できる対象として。

しかし、弱そうな見た目をした私は、父親にある教育を受けていました。
「ナメられたらやり返せ。殴られたら道具を使ってでも反撃しろ」と。

冷静に考えてどういう教育されてんだって感じなんですけど、これがマジの話でして、家で父と喧嘩の練習とかしてたんです。

ちなみに虐待ではないです。プロレスごっこみたいなノリだと思ってください。余談ですが、父のスネを狙った私の蹴りが押入れのふすまに思い切りヒットして破れ、母にメチャクチャ怒られた思い出があります。なつかしい。

というわけで、男子にからかわれた私がとった行動は、反撃
叩かれたら叩き返す。殴られたら箒を振り回して殴り返す。いやなことを言われたら「うるせえ!!」と言い返す。おまえの方がうるさいよ!!!!

そうしているうちに、私にちょっかいを出す子はいなくなりました。
強いと認められたわけではなく、「こいつに手を出すと面倒くさい」と認識されたのでしょう。あと、単純に転校生という珍しさが薄れたのかな、と。

というわけで、結果的に、私は父親のパワー系教育方針に救われたのです。

たいして強くもないのに心意気だけはチンピラの小学生、爆誕。

不戦敗は許さない -土俵から降りたら負け-

過去の記事でもよく言及しているのですが、私は「偉くなれ」と父方の親戚によく言われて育てられてきました。父の「ナメられたらやり返せ」という教育も、そこがルーツなのだと思います。

偉くなる、つまり、力を手に入れる。
そのためには、精神的に相手に負けないことが重要、ということ・・・なのでしょうか。具体的な真意を教えてもらったことはないので、想像ですが。

「ナメられたらやり返せ」の教育から、私は「売られた喧嘩は全て買う」という方向へ進んでいきました。

とにかく、なにかしら見下されたと感じたら、勝負を挑む。相手が大人の対応でスルーしたら、それで終わりなのですが、そうじゃない場合は、もう全力でガンを飛ばしまくる。土俵からは絶対に降りない。

さすがに、大学生にもなって取っ組み合いの喧嘩などはしません。
というか、そもそもそんなに喧嘩をする機会もありません。

ただ、何かカチンとくることをされたとき、言われたときに、私は絶対に無視はしませんでした。というか、無視できなかったです。もう、チンピラ精神が根に染み付いてしまっていて。

そうやって、何か起こったときにいちいち目くじらを立てる、反応する、勝負を挑む・・・そういうふうに私は生きてきました。

しかし、私はだんだんと、気づくようになりました。
たとえ勝負に勝ったところで、何も得られていないことに。

チンピラの気づき -同じ土俵に登った時点で負け-

なんにでも噛み付く私に、ある日、友人が言いました。

「同じ土俵に登った時点で、それは君の負けじゃないの?」と。

私はずっと、土俵に登らないと負けだと思っていました。売られた喧嘩を買わなければ、不戦敗になるものだと、そう考えていました。

ですが、そもそも戦う必要があるのか?ということを一度冷静になって考えると、たいていの場合、戦う必要なんてないのです。

私に何か文句をつけたり、いやなことを言ってくる人は、「私」をどうこうしたいんじゃない。ただ、ストレスを発散するために、たまたま私を選んだだけ。私自身への憎しみというより、女性という性別自体や、学歴差別に怒りを覚えているだけ。

つまり、私自身が勝負を挑まれているわけじゃない。
だったら、いちいち反応している方が、アホらしくないか?

たとえ言い負かしたところで、得られるのは疲労感のみです。
これが、チンピラ精神で長年過ごした私の見解。

大人の対応・・・という言い方はあまり好きではないですが、「相手が何に怒りを覚えて自分を攻撃してきているのか」を見極めて、的確に対応する。
その方が、自分の精神衛生的にも、良いんじゃないか?と思い始めました

何か、絶対に譲れないもの。
そういうものを、戦うこと以外で守れないのならば、私は戦うことを選びます。ですが、そもそも戦う以外に方法があるのなら、それにこしたことはないのです。だって、戦うのって、疲れるし。

個人的には、チンピラ精神というのは、ある程度あって悪いものじゃないと思っています。要は使い所かな、と。

常に吠えてるチワワじゃ全然威嚇にならないけれど、「ここぞというときには反撃するからな」という心意気、ということで。
・・・これ、ほんとにチンピラ脱却できてる?大丈夫?

力はあるにこしたことはありません。
ですが、それを行使することが全てではない。むしろ、使い所をきちんとわかっていることの方が大事・・・と、今は自分に言い聞かせております。

最近は心の中のチンピラ精神が暴れそうになるたびに心頭滅却のための何かを模索中です。キレ芸はまあ良いとして、本当にキレるのは疲れるし周囲にも良いことないから、なんとかできるといいね、という感じ。

目指すは真に強い人間。泥水でした。

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