”女の子”にはなれないので
怪物になりたい。
強くて不気味な存在になりたい。
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私の性別は女だ。
頭も「自分は女性だ」と認識している。
なので、性同一性障害には当てはまらない。
だが、私は「自分を女だと思う」のが苦手だ。
男になりたいとまでは言わない。でも、女だとも思いたくない。
世間の考える”女性”でいることは、私にとって苦痛だからだ。
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私は自分の見た目を気に入っているが、かわいいとは思わない。
第三者から見て「器量良し」とは言えないと認識している。
それは、今までの人生の、他人の評価によって培われたものだ。
男子に「ブス」と呼ばれたこと。
「女子のくせに腕毛が生えてる」と言われたこと。
かわいい文房具を使っていると、似合わないと指摘されたこと。
だいたいは小学生の頃の思い出である。
だから「気にするな」といえばそれまでだ。
腕毛くらい生えますよ。人間だもの。
でも、小学生の私はまだ”女の子”だったので、「ブス」と言われてショックを受けたし、「腕毛が生えてる」と言われてものすごく恥ずかしくなったし、自分がかわいいものを使うのは変なのか、としょんぼりした。
「私は女の子にはなれない」と思った。
ブスで、腕毛がはえてて、かわいいものが似合わないから。
世間の考える”女の子”の概念から、私は外れている。
小学生の時点で、そう思った。
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かわいいと言われたいのかと聞かれると、返答に困る。
そこまでチヤホヤされることを望んでいるわけじゃない。
でも、「ブス」呼ばわりされるのは、”女の子”としては屈辱だ。
ただ、事実として、私はかわいくない。
そして、かわいくなる努力をしたいと思えない。
自然に生えてくるものを、なぜ剃る必要があるのか。
はじめてカミソリで毛を剃って、ヒリヒリする腕を見て思った。
女の子でいることって、なんて大変なんだろう。
じゃあもう、”女の子”でいることをやめよう。
嫌な思いをするくらいなら、そもそも女の子なんて、なれなくていいや!
そう思った。そして、実行した。
私は、男子用のブランドの服を着て、常にズボンを履くようになった。
中学に進学し、女子校へ入ってからも、私は”女の子”でいることを避けた。
制服はスカートだったが、気にせずに大股で歩いた。
一人称を「俺」にしてみた。「私」と言いなさいと怒られた。
下品な言葉をたくさん使った。大きな声で笑い転げた。
とてもとても、楽だった。
女子校という「異性のいない世界」で、私はただの私だった。
女の子でも男の子でもない、純粋な”私”だった。
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そうして”女の子”をやめた中高6年間を経て、私は理系の大学に進学した。そこは、もはや男子校と言って良いほど、女性のいない世界だった。
私は再び”女の子”・・・いや、今度は”女性”であることを突きつけられた。
化粧をしないでいると浮いてしまう。
一人称が「俺」だと悪目立ちする。
服装は未だに男子小学生の格好だ。
もう私にいちいち「ブス」だとか「腕毛が生えてる」とか言う奴はいない。
いないけれど、ことあるごとに、自分の性別をつくづく思い知らされる。
私がどんなに”女の子”でいることから逃げても、結局は”女”なのだ。
浮いていることの方が、女性としての努力をするよりも、面倒になった。
なので、申し訳程度に化粧をはじめた。
一人称を「私」にした。
無難なワンピースを買って着てみた。
以前より、見た目は普通の”女の子”らしくなった。
だが、私は”女の子”をやめたのだ。
”女性”になるなんて、とんでもない。まっぴらごめんだ。
これは”女性”になるための儀式ではない。私は自分に言い聞かせた。
化粧も、私という一人称も、面倒を避けるための武装でしかない。
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私は決めた。
私が目指すのは、怪物だ。
怪物はかわいさを求められない。
怪物は毛むくじゃらでもおかしくない。
むしろ、不気味であればあるほど格好いい。
「すげえ髪型してんな」と半分坊主の頭を指摘された。
怪物としてはまだまだですよ、と私は心の中で謙遜する。
「ヤバイ服着てるな」と血まみれゾンビワンピースを指さされた。
こういう感じを目指したいんですよ、と私は心の中で答える。
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「それは”女性”であることから逃げているだけだ」と指摘されたら、否定はできない。確かに、きっかけはそうだ。
私は逃げた。”女の子”から逃げ出した。
でも今の私は、本心から、自分の望む怪物像を目指している。
不気味で強くて醜悪な、私にとっての美しい生き物。
他人には理解されなくていい。
私にとって私が好きな存在であればいい。
私は怪物になりたい。
道のりは険しいだろうなあ。泥水でした。
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