なんとなく…

なんとなく、具合悪い気がする。そんな瞬間を何度も感じた1日だった。
精神的なあれではないことはたしかだ。肉体的な疲れだと推測できる。物理的に、触れると痛いとかだから。

ここ最近、というか、6月に1回目のコロナに感染してから、どうも元気が出ない。いや、中学生くらいから慢性的な疲れ、不眠みたいなのはあったから、正直コロナが原因とかは区別がつかない。
ただ、振り返ると、1回目のコロナ以降、明らかに体力がなくなった。仕事をしてても、ラスト3時間→1時間と、どうしようもない倦怠感と睡魔に襲われる。マジで頭も働かない。瞼も非常に重い。
整体に行ったり、マッサージに行ったり、ジムで体を動かしたり、ある程度リフレッシュできて回復してる感じにはなるけど、やっぱり継続的に改善しない。
結構助けて欲しいレベル。躁鬱も相まって、本当にどっちが先行して調子崩すのかわからなくて、解決の糸口を見つけるのに時間がかかるようになってしまった。

そんなこんなで夜寝る前、ふとした瞬間に、死の恐怖に打ちのめされそうになるときがある。
死ぬことに恐怖心を持ったことはない。
なんで、今更?と思ったけど、冷静に考えればそれは、死の恐怖ではなく、子供の成長を見られないのではないかという、どうしようもない寂しさと自分の欲が満たされない不満からくるとてつもなくマイナスのストレスだった。

子供の隣で寝れば解消されると思っていたけど、そうでもなかった。根本的な解決をどうしてもしたくなるけど、結局上手く付き合っていくしかないんだと思う。フルマックス元気な状態が毎日続くことは理想だけど、そんなわけには行かないので、さっさと諦めて、その日の100%で生きるしかない。
「どうせ死ぬなら」という考え方から、「せっかく生きてるなら」という考え方に変換した日から、世界は少し変わった。それでもなお、辛いことは辛い。どうしても理想と現実とのギャップを、冷静に認識するだけにとどまらず、そのギャップの溝に主観的にハマり、抜け出せない日もある。
↑今日がそういう日だったわけではないのに、なんか書いてる笑

何か一つのテーマについて、自分の考えを書きたいときもあれば、日記みたいに書きたいときもあって、まとまりがないときもある。でも、基本的に思考をそのまま表したくて(言葉にした時点でメタファーでしかないんだけど)、できるだけ垂れ流すように書いてる。湧いてくる言葉を次々に。こうやって頭の中でずーっと思考しながら言葉に変換する作業を一日中やってるんだなー俺って。でもアウトプットしないと、本当に絡まってしまって、ついに言葉も出てこなくなる。
だからこれはやっぱりトレーニングも兼ねてるのかもしれない。言葉にするって大切なことだけど、言葉にした瞬間に、自分の思考とはかけ離れたものになる気がして、そのせいで言葉が多くなる。言葉でうまく説明できない時には言葉を発しない人とのコミュニケーションは少しイライラするけど、気持ちは痛いほどわかる。
俺だって、言葉にしなくて済むのなら、その方がよっぽど良い。
口から先に生まれてきたと言われた俺が言うんだから、これ結構本質だと思う。

なんの話だったかわからないな、今日は。とにかく眠すぎる1日だった。

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