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インターネットはパノプティコン

どこにも入力した覚えもないのにInstagramのストーリーズに、自分が働く会社の広告を見た時にはかなりぎょっとした、見られている。
Twitter(X)のタイムラインに、自分と似たような環境にいるだろう若手会社員の愚痴とか、「覚えていると役に立つExcelショートカットキー」みたいなTipsとかが流れてくる。
タイムラインを見て、エコーチェーンバー現象が起こっていると思う。

何かに似てないか?

18世期イギリスのベンサム(功利主義の権化)が監獄を想定してその構造を構想した建造物の図式、パノプティコン。それは大小ふたつの円柱が二重になっている構造で、外側の大きな円柱では、監獄に捕えられた囚人がセルみたいに区分けされた部屋に収容されている。内側の円柱には数人の看守が多くの囚人たちを監視する。囚人たちから看守は見えない。

パノプティコンは、フーコーが『監獄の歴史』で批判したことで有名。
監視社会をパノプティコンに例え、排他的で閉鎖的な社会の構造に疑問を呈した。

パノプティコンは、見られていないと思って暮らしているが、実は堅牢に、しかも数人の管理人によって監視されている。
インターネットも見られていないと思って無邪気に調べ物をしたり、購買活動をしたり、いいねをしたりしたりしているけど中枢のシステムから全てをデータとして管理・蓄積されている。

インターネットを使うにつけて、自分がパノプティコンの一室に閉じ込められているような感覚になる。

フーコーは社会をパノプティコンに見立て、監視社会の静かな暴力性を批判したが、インターネットをこの構造に見立てる時に批判されるべき対象はあるのか。
インターネットの向こう側(内側の円柱)にいる資本主義とか、広告代理店とか、アルゴリズムを分析するGAFAの会社員がこちらを監視しているのが見える。
これらは、絶対悪ではない(つまり絶対的な批判対象にはならない)が、自分でも気づかないうちに、無意識に購買意欲や共感性や思いこみが刷り込まれることには嫌悪感を覚える。

私は、見られていることと見られていることによって得られる情報がインターネットに利用されていることを把握した上で、インターネットを活用したい。

インターネットリテラシーの話。

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