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「マンハント(追補 MANHUNT)」を見る。

今さらではあるけれど、中国のテレビで「マンハント=追補 MANHUNT」が放送されていたので見た。

映画ファンなので、この映画に対する予備知識は多少持ち合わせていたと思う、「君よ憤怒の河を渡れ」の再映画化であること、監督はジョン・ウー、福山雅治が出ている事...... まあ、その程度ではあるけど、「君よ憤怒の河を渡れ」は好きな映画の一本なので、興味はあったのだけど、見逃していた。

しかし、見終わって...... この映画がどのような形で日本公開されたのかわからないけど、テレビで見た、この違和感はなんと言っていいのか。

テレビ放送なので、すべて中国語に吹き替えられていた、それが、いいのか? 悪いのか? 

完全な日本映画、日本人しか出て来ない映画、最近では「ナミヤ雑貨店の奇蹟」とか「DESTINY 鎌倉ものがたり」を中国語の吹き替えで見たけれど、これは違和感がない、日本で「007」シリーズとか吹き替えで見て、ジェームス・ボンドが日本語をしゃべっていても、そういう物だと思ってみれば、普通に見られる、それと同じ。

しかし、「マンハント」この映画、日本が舞台ではあるものの、中国人が出ていて、当然中国語をしゃべっている。

日本で中国語しか出来ないと困ると思う。

しかし、通訳的な人が登場するわけでもなく、吹替と言うこともあるけど、日本中の人が中国語を話し、中国人とも普通に会話する。

まるで、日本が中国になったみたい。

なんか見ていて、この潔さ、みんなが中国語を話す事にしてしまえば、面倒な通訳を介した会話が無くて済む。

僕自身、シナリオなど書いていて、中国を舞台にしたドラマなどで苦労するのは、日本人が中国語が出来る設定にするのか、あるいは日本語が出来る中国人を登場させるか、どちらにして、登場人物すべてが日本語や中国語が出来る訳ないので、どうしても通訳的な事もしないと話が進まない。

しかし、通訳は、観客にとっては、同じセリフを4度聞くことになるので、話が進まず、イライラする。

A     「ニイハオ」
通訳「こんにちは」と言ってます
B      「こちらこそこんにちは」
通訳「ニイハオ」って言ってます

極端な例だけど、たかだか「こんにちは」って言うだけで「こんにちは」を4回聞かなくてはいけない。

この「マンハント」日本公開された時、福山雅治はカタコトの中国語で中国人俳優と話していたのか、それとも、中国人が日本語を話していたのか......

気になって調べてて、予告編に出会った。

なるほど、日本人どうしがしゃべる時は日本語、中国人と日本人がしゃべる時は英語、そうなっていたのか。

しかし、主役ふたりは英語が出来ても、実生活には字幕など出ないので、英語が出来ない、その他の登場人物は二人が何を話しているのか判らず、物語から置き去りだ。

英語でも、日本語でも中国語でも、映画では都合よく通じ合ってるように演出できるけど、深く考えるとやっかいな問題ではある。

しかし。

この中国語吹き替え、違和感は感じたものの、結構気に入った。

とにかく全員中国語。

日本でテレビ放送するときは、登場人すべて日本語吹き替えにすると、意外と話は簡単で、面白く見られるんじゃないかなと思った。

中国語が出来る、日本語が出来る、あるいは英語が出来る、こんな人たちがごちゃごちゃしてたら物語は進まない。

全員、中国語なら中国語、みんながしゃべれるなら、なんの問題もない、不自然さは免れないけど、展開はスピーディになる。

あと、非常に申し訳ない書き方になってしまうけど、ルックスはいいけど、芝居が下手、特にセリフが満足に言えない俳優は吹き替えにすることで、すごく良くなる。

桜庭ななみさん、すごく良かったです。

意外と面白く見られるなら言葉なんてどーでもいいのかもしれないと思った。




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