愛とは何か?三十歳を前に考えたこと
みなさん、こんにちは。薛です。
私事だが、最近、ある出来事をきっかけに深く感じたことがあり、それをノートに記録しておこうと思います。
「愛とは何か?」この問いは、おそらく人類の歴史の中で最も議論されてきた質問の一つでしょう。フロイトはかつて「愛には練習が必要だ」と言いましたが、私はそれを以前は信じていませんでした。なぜなら、愛は本質的に非常に直感に反するものだからです。例えば、父親が家族のために命を捧げたり、兵士が国のために喜んで犠牲を払ったりする行為は、生物の自己利益に反しているように思えます。だからこそ、愛を学ぶことができるとは信じられなかったのです。
しかし、もうすぐ三十歳を迎える今、過去に多くの恋愛を経験し、さまざまな感情を味わってきました。人を振ったり、振られたり、そして深い悲しみを伴う失恋も経験しましたが、それでも「愛とは何か」が分からずにいました。
ところが、ドイツに来て今の彼氏と出会い、ようやく「人を愛すること」の意味が少しずつ分かってきた気がします。
愛とは、一緒にいるときに楽しんだり、相手に甘えたりするだけではありません。それらはただの恋、熱情的でピンク色の感情であり、時には不確かなものに過ぎません。
愛とは、もっと深いもので、一人のために感じるものだと思います。彼が笑っていると私も幸せを感じ、彼ががっかりしていると、どうにかしてあげたいと思います。たとえ彼に悪いことをされても、彼の幸福を願い続けます。もし別れることになったとしても、彼を嫌いになることはないでしょう。それどころか、彼を嫌いにはなれないと思います。
恋は、お互いに好きであれば続き、嫌いになれば簡単に別れることができますが、愛は違います。別れた後でも、彼への気持ちは心に深く刻まれ、記憶が薄れても思い出すたびに「あの時、全力で愛していた」と感じることでしょう。
私はずっと、愛とは相手から何かを得ることだと勘違いしていました。しかし、実際には、愛とは自分から相手にどれだけ何かをしてあげられるかにあるのです。つまり、愛は得るものではなく、与えるものなのです。
もちろん、今の彼への気持ちは、親が子供に抱く愛とは違いますが、過去の恋愛と比べて今回、愛の偉大さを理解できたことは幸運だと思います。
ただ残念なことに、ようやくそのことに気づいた時には、彼が日本に帰国してしまい、次に会うまでには四ヶ月も待たなければなりません。
もしこの恋がうまく続き、また彼と一緒にいられるなら、これまで以上に大切にしたいと思います。たとえ別れることになったとしても、愛を教えてくれたことに、神様に感謝するしかありません。愛情を感じることができるというのは、生まれ持った非常に貴重な資質だと思いますので、私は本当に恵まれているのだと思います。
人生は常に甘いものではなく、浮き沈みのあるものです。しかし、どんな時も喜びや悲しみを共有したい人を見つけられることは、とても幸せなことだと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
後書き:巡り巡って、彼がこの記事を読んでしまったら、恥ずかしいけれど、やはり、読んでほしいです。笑
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