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あなたの街を愛してください

こんにちは、セツです。

ドイツに来てからもう一月経ちました。時々あまり実感がないと感じていることもあるけれど、正直いえば、愛してやまない故郷の台北と同じようにドイツの生活にも段々慣れてきたと思います。

このような記事はもう私のインスタと、Mediumというブログのサイドで中国語と英語で載せたけど、日本語のバージョンも作りたいと思うので、ちょっと長くなるかもしれないが、最後まで読んでくださったみなさんに、お先に感謝の気持ち伝いたいです。

では、今から本題に入りましょう。

昨日、道を歩いているときに、、一文に出会いました。「Liebe deine Stadt」(リーベ ダイネ シュタット)という言葉です。日本語に翻訳したら、「あなたの街を愛してください」という意味です。

この言葉を見て「あなたの街ってそれはみんな選べることなのか」について思い込んでいました。よく考えれば、確かに人生は選択の連続です。朝起きて、コーヒーを飲むかどうかを決める瞬間から、夜目を閉じる前、明日の目覚ましを何時にするかを決める瞬間まで、私たちは常に選択をしています。だからこそ、中国語で「自分で選んだものを愛して、愛したいものを選ぶ」という言葉がよく言われているのです。

ほとんどのシナリオでは、私たちは自分の望むことを選ぶことができます。例えば、住む場所や、飲むコーヒーや、着る服などは選べます。しかし、人生には自分では選べないこともたくさんあります。 家族、出身地、性別、さらには辛いものに耐えられるかどうかは選べないことです。
(27年間辛いものを食べれるように練習してきたが、未だに辛いのは苦手なセツでおります。笑。)

では、質問です。もし、人生とは、自分で選んだものではないものだとしたら、愛する力はどこにあると思いますか?

サリー・ルーニーの小説 『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』にある登場人物、フランシスのことを思い付きました。フランシスは、なぜ自分が血のつながりだけで父親を愛する必要があるのか理解できなかったです。そもそも人は父親になる人を選ぶことができないのに、なぜ父親を愛する必要があるのでしょうか?これは社会的に反するかもしれないが、もし家族との繋がりが薄い方は多分共感できる感情だと思います。

しかし、たとえ選択できる場合は、人が選んだものを愛することができるでしょうか? 日本ドラマの『カルテット』を例に挙げます。登場人物のマキは「夫婦って別れる家族なんだと思います」と言いました。夫婦だと言われたら、人生のパートナーであり、現在の時代に、自分で選べるものだが、さまざまな理由で手放す人もたくさんいます。

私も人生で何度か恋をしたことがあります。 私は、恋愛関係に対して、いつも最善の努力をしてきた人だと思っています。 愛というのは、努力したか、しないか関係なく、たとえ自分の愛をすべてを出し尽くしても、常に傷が残ってしまいました。その事もあり、人を愛する事をやめたくなった経験もあります。

ここで私は自分の考えが正しかったとは思いません。愛の実践というテーマについて、フロイトの『愛の技法』はおすすめです。ただ、私のセンシティブな心はまだ愛の実践ができません❤️‍🩹。

私がどのようにして愛の認識を築いたかと言えば、理論やミステリードラマ、現代の恋愛小説ではなく、最も印象に残っているのは、小さい頃に楽しんで見ていた日本のアニメ『NANA』です。 あの頃は、大人になったら、カッコいいナナになりたいとずっと思っていて、ギターを弾けるように、ロックを聴いてるように成長してきたのに、結局はあの時嫌いだったかわいい(弱い)ナナのようになりました。笑。

恋愛関係に浮いたり沈んだりして、今はかわいいナナのことを納得できるが、まだ好きとは言えません。

ここまで書いてきたが、私がどのようにして「Liebe deine Stadt」から個人的な恋愛の歴史に至ったのか、合理的に結論付けることはできないが、 多分それは、私がこれまで住んでいた場所に対する愛情が、恋人のように同じほど強烈だからです。

今は暮らしてるケルンを愛していないけれど、段々と親しみを持つようになる気がします。多分、いつかケルンを愛することができると思います。私の故郷として親しみの深くある台北を愛しているように、あるいは少しだけ暮らしていた小琉球(台湾の街)を愛しているように、ケルンもいつか好きになると思います。

人生で自分が選ばなかったものを、自分が選んだものを楽しんで大切に愛せるように、人生で必然的に出会った人にも、偶然に出会った人にも愛せるようにしたいです。

最後に、最後のお願いを書かせてください。 いつか、恋に落ちた時に、誰かの期待に応えなければいけないと感じなくて、心から「愛してる」を言えることを願っています。その愛は多分ある街に対する愛情と同じ、時間が経てば経つほど、少しずつ愛が深くなり、たくさん星が見える夜に、空を見上げ、ふと自分がこの街を愛していることに気づき、ついに感動されたような愛だと思います。

「lieben」でも「love」でも、「愛」でも、言語に関係なく、損得に関わらず、ただすべてを愛したい、どうしても諦めたくないという愛情をいつか持ちたいです。

思いが長くなりました。笑。

ここまで読んでくださったみなさんありがとうございますー!

また更新します。読んで頂ければ、幸いです。
#2note

ケルンのある所です。


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