見出し画像

昭和10年代の台湾-蘇澳冷泉の話

蘭陽(※現在の宜蘭県一帯)でも蕃地視察はさかんで、特に蘇澳の南北に蕃社多く、途中トロッコや轎に乗り換えて視察することが出来るのである。紀陽(和歌山)と同様各地に温泉の多い処で、内外に著名な礁渓温泉をはじめ多数の温泉あり。蘇澳には天然温泉と炭酸水製造所があるが、何でも井戸を掘ろうと試みたところ多量の炭酸水が出てきたのだと云う。建物に装飾を施せば忽ちトレビの泉に勝るとも劣らぬモダン台湾八景となるであろう。一杯飲んでみたところ甜く旨く、経営者は何と和歌山出身であると聞く。

(『昭和庚寅(1940)台湾後山之旅』より)

年度末が近づき、ぼくの現実逃避も佳境に入ってきました。どこか旅行に行きたい気分だったりしますが、目の前の書類は「それを許さじ」と言ってきたので、結局近所にあるコミュニティセンターの図書室に行くくらいです。

もう20年以上前の話になりますが、ぼくは台湾東部にある人口4万人の小さな港町である蘇澳(スーアオ)鎮を訪ねたことがあります。

(蘇澳鎮の位置)
(拡大図 オレンジ色の▲印は山を示す)

かつては宜蘭線の終着駅として栄えていたところですが、台北でもなく高雄でもなく、とにかく昔ながらの台湾の雰囲気が相当濃厚に残っているところです。ただ、土地の人からすると「開発が遅れた」と捉えている人が少なくないかもしれません。

蘇澳の名物は冷泉です。蘇澳冷泉とよばれ、かなり強烈な炭酸泉です。関西で言えば兵庫県三木市の吉川(よかわ)温泉のイメージに近いかもしれません。

当時のぼくも例にもれずこの炭酸泉に浸かってきたのですが、台湾の温泉は水着が必要で、水着を持ってきていなかったぼくは家族風呂のほうに入りました。今でこそスーパー銭湯でも炭酸泉を経験することができるわけですが、当時はとても珍しく、入っていると炭酸水が身体にまとわりついて、わずかに熱(ねつ)っぽく感じる、独特な感覚。

あと、冷泉サイダー(戦前は「蘇澳ラムネ」などとよばれ台湾各地で売られていました)なるものもあって、ぼくはふだん炭酸飲料を飲まないこともあって、独特のシャワシャワ感は今も記憶に残っています。
今日は蘇澳の話題です。

(蘇澳冷泉のエントランス)

戦前の蘇澳⑴ そもそもどう読むの?

戦前の台湾の地名は音読みするときついつい悩んでしまうことがあります。台湾語なり北京語なりで発音すればいいだけの話ですが、日本人のさがで、やはり音読みしたくなってきます。

ただ、音読みでも複数の読みかたがあります。ぼくは屏東(へいとう)という地名をずっと「びょうとう」と読んでいたことがあって、どこの国にあるどの町なのか、まったく話がかみ合わなかったことがあります。

そして蘇澳もくせもので、「そおう」なのか「すおう」なのかでしょっちゅう悩まされます(こんなことで悩めるくらいだからとても平和な証拠と笑われそうですが)、自分の頭のなかでは最終的に「すおう」に落ち着いたものの、なにゆえに「す」なのか、そして正しい読みが「す」となったのか、今なおうまく説明できないでいます。おそらく「蘇芳の花」をイメージしたのと勝手に考えているのですが‥。

戦前の蘇澳⑵ 和歌山出身の冷泉経営

さて、蘇澳名物の冷泉に戻りますが、筆者によると「(冷泉の)経営者は何と和歌山出身であると聞く」とちょっとびっくりするような話を書いていました。

この冷泉は和歌山出身の竹中信景氏が開発したとされています。もともと紀州藩士氏の名前で検索すると詳しい事績が紹介されています。1890年代前半、台湾がまだ清領だった時代、氏はこの地を訪ね、当時は毒泉として知られていた水を飲んでみたところ「元気百倍」になったことから事業化を進めたのだそうですが、ぼくが生半可なことを書くのもなんなので、氏のことを詳細に書いてくださっているサイトへのリンクを貼ることで替えたいと思います。

リンク:ライター高橋による戦前・日本統治時代の台湾ばなし
リンク:竹中信景 在宜蘭作什麼?

戦前の蘇澳⑶ 交通の難所

当時の鉄道は蘇澳駅が起点となっていて台北方面への列車が走っていました。ただ蘇澳から南、花蓮(港)までの90キロ近くの区間は大理石の岩石地帯で汽車などまったく通すことができない状態でした(その途中に有名な太魯閣渓谷があります)。

(当時の鉄道地図。蘇澳・花蓮港間にも注目)

じゃあどうやってこの間を往来したのかというと、船で往来したり、あるいは断崖を削って切通しの狭い道路をつくり、そこに台湾総督府鉄道バスを走らせたりしたわけです。このひどい断崖っぷりは当時の記念切手のデザインになっているほどです。

(断崖絶壁の難所「清水断崖」を描いた戦前の記念切手)

「これだけ頑張って掘ったんや、ドヤ!」ということがよくわかります。

ちなみに蘇澳・花蓮間の鉄路が全線開通したのは1980年とだいぶあとで、このとき内陸側に蘇澳新駅が設けられます。海沿いの蘇澳駅は支線のように扱われ、現在の特急自強号は蘇澳駅を通らず、内陸の山岳地帯をえんえん走って花蓮に至るわけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?