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一九三六年 屏東⑶ ー 客家部落の朝と売春宿の夜

客家部落の朝

二人して宋君宅に帰り、暫時睡眠する。朝五時にもかかわらず著しく暑く寝苦しい。周囲を散歩すると支那風の赤瓦の建物ばかりで、辺りは黒猫や黒犬がウロウロしていた。半時間歩いただけなのに玉のような汗がドッと出た。宋君の住む地区は客家ばかりで日本人蕃人は居ないと云う。客家とは清代に台湾に移り住んだ漢人即ちちゃんころを指し、日本語を解するのは其の内半数程度である。宋君も客家の一人である。田圃には台湾バナナがたわわに成っている。台湾バナナは汽車に乗り高雄港に運ばれ緑色の硬い内に内地に移出すると云う。門司港のバナナの謡売(うたいうり)は好く知られているが、これにも幾つかの流派がある。和歌山でも山地に芭蕉の木はあるが実は一切付かず。紀州和歌山の南国情緒と云っても結局南竜公の蘇鉄程度で台湾より明らかに劣るものである。

鶏ではなく鴨を食べる理由

朝食に冷奴と称して出されたのは何故か炒めたピーナツツ豆腐だった。ピーナツツ豆腐とはまた支那らしい食物であるが、抑々考えてみると大豆をピーナツツに変えただけの事である。ピーナツツ味噌と云う食物もあり、金山寺味噌の様にして食べるとの事である。米国ではパンに塗る習慣があると云うが、台湾のピーナツツを米国に輸出するのも面白いかも知れぬと下だらない事を考えながら食べていたら存外に旨かったのだった。また鴨肉の和え物も出されたが、台湾の料理に鴨が多いのは、水害が多い台湾では鶏は溺れてしまうが鴨は溺れない為との事だった。

ロマンという極悪人

今晩より屏東駅前の旅館に投宿する事となり、自動車で駅前まで送られる事となった。途中末広町の宋君の事務所に寄り諸手続を行い、昼食は近所のうどん屋でカレーうどんを食べる。昨今軍人の間ではカレーうどんが流行しているらしく、日本人は何にでもカレーを入れて食べるのが好きだと笑い、そんなに好きならばいっそ菓子にカレーを入れてみてはどうかと云うのだが、これもまた存外に旨いのかも知れない。自分の隣には大ボクロに沢山の毛の生えた肥えた醜(ぶ)男が大盛りの白飯を下品に平らげていた。宋君は自分に、あれは市尹(しいん)(※市長)の放蕩息子だからジロジロ見ないほうがいいと耳打ちした。台湾の各所各地には小さなボスが幅を利かせているのだと云う。田舎のボスを総理と云うが、夜の世界のボスはロマンと云う。英語のromanticではなく、支那語の老鰻(ろうまん)、つまり掴みきれない老獪な鰻から来ているのだと云い、台湾各地の盛り場に居るロマン共はやくざ並に悪い者ばかりだから注意するよう何度も忠告された。

置屋の遣手婆と喧嘩

向後自分は屏東には十泊し、途中牡丹蕃地を視察するのであるが、宋君の口利きで旅館に行李を置かせて貰える事となった。行李は比較に多かったので非常に有り難い計らいであった。翌日の蕃地視察に備え、夜は独り妓楼で遊んだ。朝鮮人と日本人の女が居たので日本人の方を選んだところ、これがまたとんでもない女で、背が低く可愛げのある顔立ちをしているのに、ちょんの間に入ると「元々内地に居たが結局屏東まで流れて来た」「福岡県の故郷に帰りたい」等と壊れた蓄音機のように身上話を垂れ流すのでホトホト閉口した。此の女は内地でも此のような働きだったから使い物にならず此処まで流れて来たのだろう。結局自分は何もする気も起きず金だけを払ったが、遣手婆にトンデモナイ女だと嫌味を云ったところ、選んだのは貴様だろうがと逆上してきた。向っ腹が立ったが、宋君から昼間に聞いたロマンの話を思い出し我慢する事とした。(続く)

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