ロシア語一日一善(296)

レフ・トルストイ編著  八島雅彦訳注  東洋書店から

ロシア語一日一善(296)

Живя с близким человеком, хорошо уговорится о том, чтобы останавливать друг друга, как скоро тут или другой начнёт осуждать ближнего


試訳
大切な人との生活では、一方が他方を責め始めたらすぐ止めるように取り決めておくといい。

Живя с близким человеком:живя は不完了体の副動詞だから、「近しい人と生活しながら」接続の具合を考えると「近しい人と生きている時」か。条件の提示のような導入だ。хорошо уговорится о том, чтобы останавливать друг друга:уговорится は「合意する」なので「取り決める」「話し合っておく」くらいがいいか。останавливать друг друга 「お互いを止める」とはどういうことか? とりあえず先に進む。как скоро тут или другой насчёт осуждать ближнего:тут или другой は直接的には「あなたとその隣人」を指すので「どちらか一方が」とやるのが好ましいか。начнёт осуждать ближнего 「隣人を非難し始める」「止める」は「非難」ということか。как скоро は古い形式で「〜するや否や、〜する場合」ここでは「始める」という動詞が後に来ているので「〜するや否や」の方がしっくり来るかな。最後の ближнего は「近親者」ということだけど、これは、最初に出てきた、близкий человек のことでいいだろうか?単数形になっているところを見ると、不特定多数の「近親者」ではなく、ある一人の近親者であるから、やはり最初の、ここでは一緒に住んでいることになっている人のことを指すと考えなければならないか。

八島雅彦訳を参照する

身近な人と暮らす場合は、どちらかが隣人の非難を始めたら、すぐに相手を止めるように約束しておくのはよいことである。


ここでは、близкий человек と ближний は別の人として訳している。確かにもし同じ人のことを指すならば代名詞を用いるのが普通か。私は勝手に夫婦円満の秘訣の話かと思って、「夫婦のうちのどちらかが相手のことをなじったら、「ストップ!」言ってやめるようにするルールにしておきましょう、こういうことは夫婦の生活で大事です」みたいなことかなと解釈していたが、そうではなくて「隣人の悪口を言わないようにする工夫」が述べられているのね。「隣人」と日本語にすると「ご近所さん」の意味にとってしまうけど、ближний は「親類」のような訳語もあるから、キリスト教的な隣人なのよね。広い意味での「他者」というか。私の反対側にある概念みたいな。この語が出てくるたびに、ニュアンスを理解していない気持ちになる。あと、ближний は単数形だから「特定の一人の人のことを指す」という読みだったけど、ロシア語では必ずしもそうとは限らなくて、ここでは「代表単数」と解釈するのが良さそう。宇多文雄『ロシア語文法便覧』の74ページから引用。

概念を一般的、総括的に示したり、物の本質をいう場合には、ふつう単数を用いる。
Волк - хищное животное, родственное собаке.  

狼は、犬の仲間の猛獣である。

Раньше японцы не использовали кровати: они стелили постель прямо на пол из соломенных матов 《татами》.

以前日本人はベッドを使わなかった。ふとんをじかに畳の上に敷いたのだ。

 


例文の中の「日本人」とか「ベッド」は複数形になっているのに「ふとん」に当たる постель は単数として使われていて、かなり奇妙に思われるが、ここでは「ふとん(というもの)」と補って解釈するとなんとなくわかる。日本人やベッドは概念的な意味ではなく、もっと実体を持った個々の存在であるという感じが複数形だと出るが、「ふとん」の単数に関しては「ふとんというものがあってだな…」のような人に物事を説明する時のような雰囲気がある。
問題の ближний も具体的に「〜さん」「〜くん」のような隣人の顔が思い浮かぶのではなく、あまねく隣人というものに対しての、かなり抽象化された意味で用いられているから、ここでは単数という解釈も成り立つが、つまりそういうことだろうか?「どちらかが隣人の非難を始めたら」というのは、夜中に音楽を大音量で聴く近所の「Aさん」の非難を始めたら、という意味ではなく、「自分ではない一般的な他者というものの非難」という具体性が欠けた存在のことを言っているという感じか。難しく考えすぎのような気もするが、「単数形」を見た時にすぐに「特定のコレコレ」というふうに解釈したい気持ちを抑える必要がある。ロシア語には冠詞がないので、単数形か複数形かで名詞の性質が大きく変わることを考えると、数にかなり気をつけてないと簡単に誤読してしまう。

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