ロシア語一日一善(300)

レフ・トルストイ編著  八島雅彦訳注  東洋書店から

ロシア語一日一善(300)

Человек не может знать, зачем он живёт; но не может не знать, как ему надо жить.
Работник на большом заводе не знает, зачем он делает то, что делает; но знает, если он хороший работник, как надо делать то, что он делает.


試訳
人間は何のために生きているのかを知ることはできないが、どのように生きなければならないかは知らざるを得ない。
大きな工場の労働者は自分の仕事が何のためにあるのかを知らないが、もしも優れた労働者であれば、自分の仕事をどのようにすべきかは知っている。

Человек не может знать, зачем он живёт「人間は何のために生きているかを知ることはできない」но не может не знать, как ему надо жить.:「しかし、どのように生きる必要があるかを知らないことはできない」не может не знать は二重否定になっているので、意味をひっくり返して「必ず知ることになる」くらいでもいいか。「知らないことはできない」ということは「知らざるを得ない」「知ることになる」ということに等しい。最初の二つの間にあるセミコロンはどういった意味だろうか。宇多文雄『ロシア語文法便覧』を見ると、444ページに「基本的にコンマと同じ用法。コンマが重なりすぎるようなとき、より大きな区切りとして用いる」とある。Человек не может знать, зачем он живёт と но не может не знать, как ему надо жить. という二つの節は、いずれも従属節を抱える複文であるから、コンマが用いられれており、この二つが но という並列接続詞で結ばれるときも、通常はコンマが打たれるのであるが、(例:Она умная, но упрямая.「彼女は利口だが、がんこだ」)従属複文で使われるコンマよりも区切りとしては大きいのでセミコロンが用いられていると分析することができる。Работник на большом заводе не знает, зачем он делает то, что делает:「大きな工場にいる労働者は、自分がしていることが何のためかを知らない」но знает, если он хороший работник, как надо делать то, что он делает.:「しかし、もし彼が優れた労働者なら、自分のしていることをどのようにするべきかということを知っている」делать は「する」というよりかは「仕事する」「生産する」の方に意味を寄せた方がいいか。

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